政治経済レポート:OKマガジン(Vol.273)2012.10.19


最近は多忙さが極まっており、メルマガ月前半号の送信としては過去最も遅いタイミングとなってしまいました。前号の内容を受けて、引き続きご関心の高い複数の読者から「それでは、中央銀行について解説してほしい」とのご要望がありました。今回のテーマは、中央銀行の歴史を若干ご紹介しつつ、現下の情勢についてご説明します。


1.軌道修正

8年ぶりに東京で開催された国際通貨基金(IMF)と世界銀行の年次総会が13日に閉幕。採択された共同声明では、先進国に財政再建を最優先で追求する姿勢を改めることを求めています。

「中期的な財政再建はすべての先進国で必要だが、どんなペースで進めるかは国別で評価すべきだ。一律の方法はない」。IMFのラガルド専務理事が13日の記者会見で述べた内容です。

欧州財政危機に端を発した緊縮路線が中国の欧州向け輸出の減少などに波及。中国経済の減速は主要国の中国向け輸出の減少につながり、世界経済全体が「負の連鎖」と陥っていることを懸念しての軌道修正です。

今後、主要国は金融緩和で経済を下支えするとともに、金利や為替などの市場動向を注視しつつ、財政再建のスピードや程度を調整することが求められます。

日本にも同様の課題が課されたことになります。ラガルド専務が述べたように、各国共通の「一律の方法」はないことから、日本には日本の対応が求められます。

先進国の中でも際立つ財政赤字、金融緩和をいくら行っても改善しない円高・デフレ、領土問題に端を発した対中国貿易の減少、労働人口減少と国際競争力の低下。

いずれも深刻な問題ですが、中でも長引くデフレからの脱却は日本固有の政策課題。「物価の安定」が法律上の政策目的とされている日銀にとって、目的を達成できない状態が続いています。

もちろん、物価は金融政策だけで決まるものではなく、実態経済や為替などの動きにも影響されます。しかし、デフレ脱却に向けて日銀に重い責務があることには変わりありません。

日銀は消費者物価(生鮮食品を除く)が「2014年度以降、遠からず1%に達する可能性が高い」という見通しを示してきました。「それでは遅い」という指摘が多いものの、その見通しも下方修正される可能性が出てきました。

日銀の白川総裁は今月5日の記者会見で、追加緩和を決めた9月の政策決定会合で物価見通しを下方修正したことを示唆。修正後の見通しは今月30日に発表される「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」の中で明らかになります。

IMFの基本方針の軌道修正。日銀の物価見通しの下方修正。さて、金融政策は軌道修正されるのでしょうか。物価見通しの下方修正に合わせて、30日の政策決定会合で追加緩和策が打ち出されるか否かに注目が集まります。

2.過猶不及

日銀は日本の中央銀行です。中央銀行の基本的な機能は総じて万国共通。第1に「発券銀行」、第2に「政府の銀行」、第3に「銀行の銀行」。国における唯一の通貨発行権(シニョレッジ)を有することから、「通貨の番人」とも呼ばれます。

もっとも、各国中央銀行の設立の経緯や歴史、国における位置付け、政策目的は区々。意外に多様です。

世界で最も古い中央銀行は1668年に設立されたスウェーデンのリクスバンク。しかし、近代的な中央銀行の原型は英国のイングランド銀行です。

イングランド銀行は1694年の設立。フランスとの戦争の戦費調達目的で設立された「政府の銀行」でした。当時、銀行券は複数の民間銀行が独自に発行していたそうです。

19世紀初頭、英国では金融恐慌が頻発。多くの銀行が破綻し、銀行券が無価値になる金融危機に見舞われました。

1844年、政府は銀行条例(ピール条例)を制定。銀行券の発行はイングランド銀行に限定され、民間銀行による銀行券発行は禁止されました。近代的な中央銀行の誕生です。

このようにイングランド銀行の誕生は自然発生的。一方、1882年設立の日銀や1913年設立の米国連邦準備制度(米国の中央銀行)は当初から中央銀行として政策的に設立されました。

因みに、日銀は1882年(明治15年)、廃止された三井銀行の為替方を母体に開業。太平洋戦争開戦の翌1942年(昭和17年)、旧日銀法が改正され、戦時体制下の法目的を明記。

日銀は「国家経済総力ノ適切ナル発揮ヲ図ルタメノ国家ノ政策ニ即シ通貨ノ調節、金融ノ調節及ビ信用制度ノ保持育成ニ任ズル」、「専ラ国家目的ノ達成ヲ使命トシテ運営セラシムル」機関と位置づけられました。

1997年(平成9年)、旧法を全面的に改めた改正日銀法が成立、翌1998年(平成10年)に新法施行。新法では「中央銀行の独立性」が高まりましたが、以後、その適否について国会や学会で論争が続いています。

「中央銀行の独立性」とは、銀行券を発行できる中央銀行が政府の「打ち出の小槌」にならないように生み出された「先進国の知恵」。

つまり、中央銀行の人事や予算に対する政府の介入を制限し、強引に金融政策の変更させることを抑止するための制度的な慣行です。逆に言えば、中央銀行は自ら適切に金融政策を運営し、その職責を果たすことが求められます。

今以上の金融緩和に慎重と思われている日銀。「中央銀行の独立性」を盾として、政府や市場の要求に安易に反応しない自制的判断をする傾向があります。さて、IMFの軌道修正にはどのように対応するのでしょうか。

何事も「過猶不及(過ぎたるは猶及ばざるが如し)」。金融緩和も「過猶不及」。政府が安易に中央銀行に頼ることは好ましくありません。

しかし、「中央銀行の独立性」も「過猶不及」。円高・デフレが解消しない中で、さらにIMFも軌道修正。物価見通しも下方修正。30日の政策決定会合に注目が集まります。

3.臨機応変

「中央銀行の独立性」は、安易な金融緩和や財政ファイナンス(政府が中央銀行に資金調達を依存すること)、その結果としてのインフレなどを抑止するために有益というのが従来の「常識的理解」。

ここで「従来の常識的理解」というのは、常にインフレ傾向にあった1980年代以前の日本などの主要国における「常識的理解」。

一方、「中央銀行の独立性」が弊害となってハイパーインフレとなったこともあります。第1次世界大戦後のドイツです。

当時のドイツの中央銀行はライヒスバンク(1876年設立)。政府からの独立性が強く、総裁は終身制。首相には任命権はあっても罷免権はなく、国会は総裁人事に関与できませんでした。

ライヒスバンクは民間企業の手形割引を濫発。大増発となった通貨(パピエルマルク)によって1兆倍のハイパーインフレが発生。経済は壊滅的状況になりました。

政府はハイパーインフレ抑制のためにハーヴェンシュタイン総裁の罷免を画策したものの、終身制のために頓挫。しかし、1923年、ハーヴェンシュタイン総裁が急逝。

その直後、ダルムシュタット銀行及びドイツ国家銀行のシャハト頭取の尽力によってレンテン銀行が設立され、土地を担保とする新通貨レンテンマルクを発行。インフレは収束し、シャハト頭取はライヒスバンク総裁に就任しました。

戦後のドイツ(旧西ドイツ)の中央銀行はブンデスバンク。ライヒスバンク時代のハイパーインフレの経験から、「通貨価値の保持」「インフレ対策」を最優先とする組織的な体質、伝統が定着していました。

ブンデスバンクの影響を強く受けている現在の欧州中央銀行(ECB)。当初は「通貨価値の保持」「インフレ対策」を重んじる傾向が強かったものの、最近の欧州財政危機や世界経済の構造変化を受けて、徐々にそのスタンスが変わりつつあります。臨機応変ということでしょうか。

臨機応変はよく使われる四文字熟語です。梁宗室伝(りょうそうしつでん)が著した中国の古典「南史(なんし)」に登場する格言。状況に応じた行動をとること、場合によっては対応を変えることを意味します。「臨機」は事態に臨み、「応変」は変化に応じる意。「機に臨んで変に応ず」と訓読します。

ブンデスバンクに対し、米国FRBの政策目的は「物価の安定」と「雇用の最大化」。1930年代の大恐慌で25%に及ぶ高失業率を経験したことから、「雇用の最大化」を目標に掲げています。

1998年に施行された新日銀法の日銀。「物価の安定」と「金融システムの安定」のふたつを政策目的としています。「金融システムの安定」が政策目的に掲げられたことには、日銀法改正がバブル崩壊後の金融危機(大手金融機関、証券会社の相次ぐ倒産等)の真っ直中で行われたことも影響しています。

このように、中央銀行の設立の経緯、体質と傾向、政策目的などは、時代背景や国の事情によって意外にも幅が広いと言えます。換言すれば、各国中央銀行には臨機応変の対応が必要です。

長引く円高・デフレ、通貨安競争、各国中央銀行間の「QE(量的緩和)レース」(詳細はメルマガ前号をご覧ください)、中国問題の影響を受けた海外進出日本企業の苦境、原発事故に端を発する電力債の信用問題、IMF・世銀総会における世界のマクロ経済運営の軌道修正など、日銀にも様々な政策課題に臨機応変に対応することが求められます。

「ムラの論理」(これも、詳細はメルマガ前号をご覧ください)に陥ることなく、日銀が柔軟かつ果断に行動し、日本経済に貢献することを期待しています。

(了)


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