政治経済レポート:OKマガジン(Vol.269)2012.8.7


政局はさらに混迷を深めていますが、政策課題は明々白々。粛々と仕事を進めなければなりません。7月31日、政府の「日本再生戦略」が閣議決定されました。党側のとりまとめ責任者として総論部分の原案を書き下ろしましたので、今回は「日本再生戦略」に関連した内容をお伝えします。


1.過信と因習との決別

一昨年6月に「新成長戦略」がスタート。その9か月後、日本は「3.11」に遭遇しました。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故によって新たな課題に直面した日本。「日本再生戦略」は新たな課題への対応も含め「新成長戦略」をバージョンアップしたものです。

「日本が世界の中で突出する経済力を誇り、アジアで唯一の先進国という地位が保障された時代はとうの昔に終わっている」。

「日本再生戦略」がこのように明記したことは特筆に値します。「失われた20年」の原因は日本が「根拠のない自信」に依拠し、世界の変化に対応しなかったことにあります。「過信」と言ってもよいでしょう。

「アジアで唯一の先進国」、「アジアで競争相手のいない経済大国」という類(たぐい)の自信は、高度成長期の余韻、バブル期の残像を引きずったイメージにすぎません。

政府が閣議決定文書でそうした認識を明らかにした意味は大きく、心機一転、日本は新たなスタートを切るということです。

総論賛成、各論反対は日本のお家芸。世界の変化に対応することの必要性は認識し、自らが関係しない既得権益(制度・政策・規制・予算等)の見直しは声高に主張する一方、自らが関係するものは断固死守。当然と言えば当然、いかにも人間的な反応ですが、そのことが日本を世界の変化についていけない国にしている原因です。

政治家や官僚には、批判を恐れずに様々な見直しを断行することが求められます。しかし、それを後押しするのは国民自身。「政治は三流、経済は一流」と嘯(うそぶ)く財界も例外ではありません。

「日本再生戦略」にはさらに特筆すべきくだりがあります。曰く「政策の成果を過大評価したり、誇張する因習と決別し、あえて厳しい評価を行った」。

政府は5月に「日本再生戦略」を策定する前提として「新成長戦略」のフォローアップを実施。その結果、「新成長戦略」に掲げた施策の98%は既に実行したものの、その成果が出ているものは約1割という自己評価を行いました。

「1割しか成果が出ていない」と揶揄(やゆ)する向きもありますが、「失われた20年」の閉塞状態から脱却し、経済や社会の構造転換を図る施策の成果が数ヶ月で出ると考える方がおかしいと言えます。

「失われた20年」の間、様々な施策が成果を出せなかったからこそ現在の閉塞状態があります。その間、成果についての過大評価や誇張をしてきた因習と訣別することこそ、日本が確実に変化していくために必要な姿勢です。

日本は正念場です。政・財・官・学、各界の関係者が「根拠のない自信(過信)」と「過大評価の因習」と決別し、変化に取り組むことが問われています。

2.予測できる需要

産業や企業は需要を獲得すれば発展します。その需要は基本的に2種類しかありません。「予測できる需要」と「予測できない需要」です。

「予測できる需要」の代表例は「日本再生戦略」が重点分野としたグリーン(エネルギー)、ライフ(医療)、農林漁業(6次産業)です。

原発事故に遭遇した日本にとって、新しいエネルギー技術の開発は喫緊の課題。しかし、それは世界にとっても同じことです。原発よりも安価で安定的な電力供給が可能なエネルギー技術が開発できれば、世界がそちらにシフトしていくことは予測可能な論理的帰結。その世界の需要を日本のエネルギー技術が獲得することが期待されます。

簡単ではありません。しかし、やり遂げなくてはなりません。簡単でないことは、やらなくていいことの理由にはなりません。

医療や農林漁業に対する需要も同様です。国内需要にとどまりません。中国やインドでも経済成長や高齢化に伴い、日本とは比較にならない規模の医療需要や食糧需要が生まれます。

こうした内外の「予測できる需要」を日本が獲得することが国家戦略の基本です。だからこそ、グリーン、ライフ、農林漁業が重点3分野として選択されました。合理的な結論と言えます。

しかし、合理的な結論はどの国にとっても同じ。「失われた20年」は、競争相手が合理的行動をとる一方で、日本はそうした行動をとらなかった結果です。

その顛末は医療に垣間見ることができます。世界の医療需要を日本にスピル・イン(流入)させるどころか、日本の医療需要を国外にスピル・オーバー(漏出)させているのが実情です。

医療支出のうち、病院や医師、看護師等の手元に残る部分は国内にとどまります。しかし、医薬品や医療機器の大半が欧米製であることから、それらに対する支払いの大部分は海外にスピル・オーバー。医薬品は1兆1500億円(2010年)、医療機器は6000億円(2009年)の輸入超過です。

こうした状況になった原因は単純ではありませんが、長年の通商交渉や産業政策の結果、日本は製薬・医療機器メーカーが育たない環境になったということです。また、1990年代の日米構造協議において、米国の圧力によって日本の医療支出が海外にスピル・オーバーする関係がビルト・イン(構造化)されたという指摘も聞かれます。

そうした状態から脱し、世界の医療需要を日本にスピル・インさせることが「日本再生戦略」の目標です。

新しい医薬品や医療機器開発のための人材育成、創薬支援機構の設立、「ドラッグ・ラグ」「デバイス・ラグ」解消を目指したPMDA(医薬品・医療機器総合機構)の強化、医療機器開発の環境を整える薬事法改正など、そのための施策を確実に実施し、成果が出るまでフォローアップし続けなければなりません。

3.コントロールできる需要

一方、「予測できない需要」とは何か。昨年亡くなったアップル社のスティーブ・ジョブズ氏は誰も「予測できない需要」を生み出しました。

10年前にiPod、iPhone、iPadを想像した人はいなかったでしょう。ジョブズ氏のイノベーション(技術革新)によって、世界の産業構図が塗り替わったのです。

パソコン(PC)のアプリケーションユーザーは引き続きPCを使いますが、インターネットへのアクセス端末としてのPCユーザーにはPCは必要なくなりました。その結果、2010年には生産台数でスマートフォンがPCを上回り、インターネットユーザーとPCアプリケーションユーザーが分離され始めました。

「予測できない需要」の創造にはイノベーションとそれを生み出す人材が必要となります。研究開発(R&D)や教育に予算を投じることが「予測できない需要」を生み出します。

ところで、需要の分類にはもうひとつの考え方があります。それは「コントロールできる需要」と「コントロールできない需要」です。

「コントロールできる需要」とは政府が需要を生み出すことが可能という意味であり、典型例が社会資本(道路、ダム、空港、港湾、橋梁、上下水道等)建設、つまり公共事業。

第一義的な需要者は政府ですが、真の需要者はユーザーである国民。国民が必要としない社会資本は一過性の需要を生み出せても、その後は維持管理費や更新費が嵩み、財政的な負担となります。

「コントロールできる需要」を創造し過ぎたことも「失われた20年」の原因です。つまり社会資本の造り過ぎです。

戦後の名目GDP(国内総生産)合計は約1京5千兆円。この間、一般政府総固定資本形成対GDP比率は約5%なので公共事業総額は約750兆円となります。

同期間の英米独仏伊5ヶ国の同比率は約2%から3%程度。仮に日本も3%であったとして計算すると、公共事業総額は約450兆円。実に約300兆円を他の分野に使うことができた計算になります。

教育、科学技術開発、産業振興等に投資していれば、今頃は、人材、先端技術、医療、農業など、多くの分野で日本は躍進していたでしょう。

「コントロールできる需要」に依存して過去の轍(てつ)を踏むことなく、内外の「予測できる需要」を日本にスピル・インさせる。それが「日本再生戦略」の目指す方向です。

(了)


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