昨日行われたギリシャ再選挙は、欧州連合(EU)及び国際通貨基金(IMF)と合意した緊縮策を支持する新民主主義党(ND)が勝利。緊縮策撤回を求めていた急進左派連合(SYRIZA)は敗北を認めました。ギリシャ再選挙を契機とする欧州の危機シナリオは一旦小康状態となりましたが、スペインで金利が急騰するなど、まだまだ予断を許しません。一方、欧州の混迷を横目に、アジアでは注目すべき動きがスタートしました。
1.パックス・シナーエ
6月1日、円と元の直接取引が東京と上海でスタート。従来、元と直接取引をしていた通貨は、米国・ドル、マレーシア・リンギット、ロシア・ルーブルのみ。主要3通貨(ドル、ユーロ、円)の一角である円が元と直接取引を始めた意義は大きいと言えます。
今回の動きは、昨年12月、日中両国が合意した金融・経済協力に端を発しています。領土問題などで対立する日中両国ですが、「政冷経熱(政治関係は冷めているが、経済関係は熱い)」の様相を呈しています。
中国にとって、円元直接取引の意義は大きくは3点。
第1に政治・外交リスク対策。従来、元はドルを介してしか主要通貨と交換できなかったため、常に米国の戦略の影響を強く受ける立場に置かれていました。
例えば、米国の外交政策の一環として中国の金融機関のドル取引を封じられるリスクがあります。こうした政治・外交リスク対策として、ドル以外の主要通貨と直接交換ができることは、中国にとって大きなメリットです。
第2に経済リスク対策。つまり、巨額の外貨準備の為替リスク対策です。中国の外貨準備は2006年に日本を抜いて世界1位になり、現在は約3兆ドル(約240兆円)。貿易黒字と元高抑止のためのドル買い介入の結果です。
巨額の外貨準備は、2008年秋のリーマン・ショック後のドル下落で評価損を抱え込みました。為替リスクを体感した中国は、貿易のドル決済比率を低下させ、貿易黒字によるドル増加の抑制を企図しています。
第3に「元の国際化」。経済規模で世界2位、3位の中国と日本。貿易における円元決済比率が高まれば、自ずと元の地位は高まります。
円にも同様の効果がありますが、既に主要通貨の地位にある円に比べると、元が享受するメリットの方が大きいでしょう。
リーマン・ショック以降、中国は「ドル外し」戦略を推進。元による貿易決済を認め、2011年には全貿易に占める元建て決済比率は1割に上昇。中央銀行間の通貨交換(スワップ)協定を相次ぎ結び、「元の国際化」を急いでいます。
中国は依然として国境を跨ぐ資本取引や海外投資家の元建て株式取引等を規制しており、「元の国際化」の道のりは平坦ではありません。しかし、それでも「元の国際化」は確実に進みます。
その理由は巨額の貿易額。日本の対中国貿易額は約28兆円。過去10年で2.5倍になりました。資本取引規制等はあるものの、実需を伴う巨額の資金決済が国際通貨としての元の普及を着実に進めていきます。
ローマ帝国の繁栄が「パックス・ロマーナ」と表現されたことに準え、19世紀以降、金、ポンド、ドルと変遷した基軸通貨に呼応し、世界の覇権構造は「パックス・ブリタニカ」、「パックス・アメリカーナ」と呼ばれてきました。中国は明らかに「パックス・シエーナ(中国<ラテン語>)」を目指しています。
2.米国の自信
円元直接取引のメリットは日本にも及びます。だからこそ、日本も合意しました。
日中双方にとってのメリットの第1は、為替手数料軽減。従来、一旦ドルに交換してから相手国通貨に交換していた結果、為替手数料を2度支払っていました。手数料が半減するうえ、直接取引で事務コストも軽減。顧客は有利なレートで取引ができるようになります。
第2に、取引コスト軽減の結果、貿易量や旅行者の往来増加が期待されます。
第3に、企業の為替リスク軽減。つまり、ドル相場変動に伴う為替リスクから解放されることになります。
上海市場の円元レートの変動は基準値の上下3%以内。東京市場には値幅制限がないものの、上海市場と連動する可能性が高く、円ドルレートのような激しい値動きに晒されるリスクはありません。
第4に、元建て金融商品の普及。元建て債券を発行し易くなれば、企業の資金調達の道も広がります。
日本固有のメリットもあります。それは、円元直接取引が「円の国際化」に寄与する潜在的可能性です。
日本の輸出企業は過度の円高に苦しんでいますが、これは1980年代から目指してきた「円の国際化」「基軸通貨化」が実現しなかったことの結果とも言えます。プレゼンスを増す元と直接取引を始めることは、「円の国際化」の新たな可能性追求につながります。
同時に、元取引を巡る各国との競争への布石でもあります。現在、元の市場は香港のみ。香港支店経由の元取引は煩雑さもコストも嵩むため、各国が元のオフショア市場創設を競っています。
英国はロンドン市場と香港市場を連携させた市場開設を計画。ロンドン証券取引所で点心債(元建て社債)の発行も始まりました。シンガポールも中国に市場創設の容認を求めています。
日本も同様です。円元直接取引で競合相手を先行し、東京での市場創設に弾みをつける狙いもあります。
この間、こうした動きを、基軸通貨国の米国が黙認しているのはなぜでしょうか。中国が為替や資本取引の自由化を進めれば、結果として、やがて国際金融市場のルールや基軸通貨ドルの影響下に置かれることを意味します。
換言すれば、元の国際化、基軸通貨化が進んでも、ドルの基軸通貨としての地位は揺るがないという自信の表れです。各国の動きは、民主化、通貨・経済、外交・軍事等の米国の戦略に照らして整合的との総合判断があってこその黙認と言えます。
3.AMS(アジア通貨制度)
円元直接取引が活発化し、元がドル、ユーロ、円と並ぶ主要通貨となった暁には、円が埋没するリスクがあります。
政治と経済は表裏一体。むしろ、経済が政治を左右しているのが実情です。「政冷経熱」の下、「軒先を貸して母屋を取られる」事態を招かないように、緊張感と戦略を堅持することが必要です。
米国も同様です。変動相場制もドル本位制も、半世紀足らずの歴史です。後世、19世紀はポンド、20世紀はドル、21世紀は元が基軸通貨だったと評価される展開になるかもしれません。当然、中国はそれを目指しています。
1929年の大恐慌の後、国際社会は経済摩擦、植民地主義、軍拡競争に直面しました。同時に静かな為替戦争が勃発。当時の基軸通貨ポンドと新興勢力ドルの戦いです。
ポンドの劣勢が決定的になった頃、英国の経済学者ケインズは、新しい国際通貨「バンコール」の導入を提唱しました。しかし、ドルの基軸通貨化を目指していた米国のハリー・ホワイト財務次官補はケインズの提案を拒否。結局、金と兌換を続けていたドルの優位が定着し、1936年の英米仏3国通貨協定に至ります。
今また、新たな為替戦争の局面に入ったと認識すべきでしょう。ドル一極体制への挑戦を目指したユーロは欧州財政危機の中で喘いでいます。相対的に安定した地位にある円と、伸張著しい元の直接取引は、やがてドル一極体制に影響を与える可能性があります。
ドルが金兌換を停止した71年のニクソン・ショックを契機に、欧州は為替リスクを回避する手段を模索。79年のEMS(欧州通貨制度)創設につながりました。加盟国相互の為替変動幅を2.25%以内に抑える枠組みであり、99年のユーロ導入まで続きました。
ニクソン・ショック直前の1969年には、IMF(国際通貨基金)のSDR(特別引出権)も創設されましたが、運用の仕方によっては国際通貨的な役割も果たします。
変動幅3%以内の円元直接取引は、AMS(アジア通貨制度)への布石となるかもしれません。韓国ウォンも参加した3通貨直接取引となれば、ASEAN諸国も参加する可能性が高いと言えます。
為替リスクに振り回されない経済を構築するには、新たな工夫が必要です。日中韓3ヶ国通貨を中心とするAMSや現代版「バンコール」、あるいはIMFのSDR(通貨引出権)も含め、日本は国際的な為替政策論争に一石を投じることで、その存在感を高めるべきでしょう。
(了)