政治経済レポート:OKマガジン(Vol.227)2010.11.10


米国中間選挙で民主党が惨敗。米国議会も「ねじれ状態」になりました。「ねじれ国会」の日本と同様、与野党の歩み寄りがなければ法案は成立しません。議論を尽くすのが国権の最高機関としての国会の役割です。予算関連法案の最終局面の審議を担う参議院財政金融委員会の与党筆頭理事として、職責を果たします。


1.太平の眠り

「太平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず」。幕末、ペリー提督率いる黒船来航の際に流行った狂歌です。

銘茶の「上喜撰」を「蒸気船」に、「四杯」の「杯」は船を数える単位にかけ、ペリー艦隊の4艙の蒸気船を指しています。

尖閣諸島における中国漁船と海保巡視艇の衝突事件、ロシアのメドベーチェフ大統領による北方領土電撃訪問。日本外交に緊張感が走りました。

起きてしまったことを元に戻すことはできず、歴史の針は1秒たりとも逆には進められません。今回のことから教訓を得つつ、今後の日本外交の糧としなければなりません。

日本が外交的摩擦や国際情勢の激変に直面するのは、歴史上6度目と言えます。

第1は、古代日本が律令国家として確立する契機となった中国大陸(隋・唐)と朝鮮半島(高句麗・百済・新羅)の激変期。663年、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた倭国。以後、朝鮮半島から撤退し、唐への朝貢を止め、日本という国名を宣言。

第2は元寇(蒙古襲来)。元・高麗連合軍が日本に侵攻してきた文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)。中国では元日戦争、韓国では日本征伐と表現されます。

第3は豊臣秀吉の朝鮮出兵。明・李氏朝鮮連合軍と戦った文禄の役(1592年)、慶長の役(1598年)。中国では朝鮮戦争、韓国では倭乱とも言われます。

第4は、幕末から明治維新(1868年)。欧米列強諸国の圧力に直面した日本は、以後、常に国際社会と対峙し、アジアで唯一の近代国家として列強の仲間入りを果たします。

第5は、敗戦(1945年)と東西冷戦開始(1949年)。日本は西側の一員に組み込まれ、米国の同盟国、アジアで唯一の先進国、アジアで唯一の西側の特別な友好国としての地位が保障されました。

そして、6度目の現在。東西冷戦終結(1990年)、それ以後の中国、インド等の新興国台頭。国際社会の中心もG7からG20にシフトし、中国とロシアは日本に対する外交姿勢を軌道修正しています。

「太平の眠りを覚ます中国漁船、大統領で夜も眠れず」。目覚めたのは良いことです。日本は虚々実々の駆け引きが行われている国際社会に生きていることを再認識すべきです。

2.立場が変われば見方も変わる

20世紀後半の日本は、米国の同盟国、アジアで唯一の先進国、アジアで唯一の西側の特別な友好国として、外交的に、良く言えば安定的、別の言い方をすれば緊張感を欠いた状態に置かれていたのかもしれません。

外交の鉄則のひとつは「立場が変われば見方も変わる」。ロシアのメドベーチェフ大統領の北方領土電撃訪問に対し、日本人の多くは不快感を抱いていますが、ロシアにはロシアの見方があります。

1855年の日露通好条約以降、千島列島と樺太は、日本とロシアの国境地帯です。樺太千島交換条約(1875年)、ポーツマス条約(1905年)、サンフランシスコ講和条約(1951年)の中で、その帰属は変遷を重ねて今日に至っています。

サンフランシスコ講和条約で、日本は千島列島と樺太を放棄。日本は、その際の千島列島の範囲に北方四島(択捉、国後、色丹、歯舞)は含まれていないという立場ですが、ロシア(当時ソ連)は含まれていると主張。そもそもロシアはサンフランシスコ講和条約に参加していません。

ソ連による日ソ中立条約の一方的破棄、対日参戦は1945年8月9日。日本の無条件降伏(8月15日)後の8月18日、千島列島に侵攻を開始。9月5日までに北方四島も占領。日本にとっては許し難い展開ですが、ソ連にしてみれば戦争行為による正当な占領と定義。

以後、北方四島はソ連の領土であり、日ソ間に領土問題は存在しないというのがソ連の立場。どこまで行っても両国の主張は平行線です。

1956年の日ソ共同宣言で国交回復。ソ連崩壊に伴って誕生したロシアのエリツィン大統領と細川首相の間で交わされた東京宣言(1993年)によって、北方四島が領土問題になっていることを両国が認知しました。

2001年、森首相とプーチン大統領によるイルクーツク声明では東京宣言を再確認したものの、その後は進展がありません。むしろ、小泉首相以降は、ロシアは領土問題の存在を否定、日本はロシアの不法占拠、四島一括返還を主張する降着状態に逆戻り。

「立場が変われば見方も変わる」以上、お互いの主張をぶつけ合っているだけでは事態の進展は困難と言わざるを得ません。

3.ルールメイクの外交交渉

外交の鉄則は他にもあります。「自国の利益を犠牲にして他国の利益を優先することはない」。当たり前の話です。

「交渉当時国のいずれかにとってボロ勝ち、ボロ負けという結果はあり得ない」ということも鉄則。ワンサイドゲームの外交は、紛争や戦争につながります。

表面上はドロー(引き分け)。しかし、それぞれの当事国が内心「実利は得た」と思う我田引水の結論と世論に導くのが外交手腕であり、国内政治の手綱さばきです。

政府・与党内で議論沸騰のTPP(環太平洋経済連携協定)。2006年、そもそもシンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの4ヶ国でスタートしたTPPが、クローズアップされる契機となったのは昨秋の米オバマ大統領来日時のスピーチ。

「アジア太平洋国家として、米国はこの地域の将来を形づくる議論に加わる」と発言。米国がTPPに加わるのは、自国経済圏の囲い込み戦略の一環。当然、自国の利益を考えてのゲーム開始です。

わざわざ来日時に発言したことは、日本への参加要請のシグナル。ワンサイドゲームにしないための日本の戦略が問われます。

1889年、ASEAN(東南アジア諸国連合)6ヶ国と日米を含む6ヶ国の12ヶ国で発足したAPEC(アジア太平洋経済協力)も米国の囲い込み戦略。しかし、今や中国、ロシアも参加しており、その意義は変質。

一方、米国抜きのASEANプラス3(日中韓)、プラス6(日中韓プラス印、豪、NZ)。こちらでは中国による囲い込み戦略が巧みに進行。米中G2による虚々実々の駆け引きが行われています。

「表面と実態の使い分け」も外交の鉄則。形式的には交渉や協定に合意しても、細部の取決めで不利益を回避するのは外交の常識。その点、日本はあまりにも愚直です。

経済連携の動きは外交そのもの。逆に言えば、外交は経済そのもの。TPPを巡る喧噪が国内農業問題と混然一体となっていることが、的確な議論の障害となっています。

TPPは様々な経済分野のルールメイクに関わる外交交渉であり、農業はその一部に過ぎません。参加を表明しつつ、ASEANプラス3等への対応を巧みに絡め、細部の取決めで不利益を回避する合理的戦略が必要です。

(了)


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