政治経済レポート:OKマガジン(Vol.218)2010.6.28


トロント(カナダ)でG8サミット、G20首脳会議、各国首脳会談が行われました。G8は、北朝鮮による挑発行動(核・ミサイル実験、韓国哨戒鑑攻撃)に対する懸念を表明。米韓首脳会談では、朝鮮半島有事の際の作戦統制権(軍事統制権)を韓国から米国に返還する時期(現在は2012年の予定)を2015年まで延期。一方、中国はこうした動きに反発しており、国際政治の舞台では虚々実々の駆け引きが行われています。


1.変質する意義と目的

鳩山首相の辞任を受けて、菅首相が誕生しました。日米安保条約50周年の節目の年に、国全体として首相辞任という大きな代償を払った普天間基地問題。単なる混乱で終わらせることなく、これを契機に問題の本質を国民全体で共有することが必要です。

1951年、サンフランシスコ講和条約と同時に締結された旧安保条約は片務(へんむ)条約でした。つまり、米国は日本に基地を保有する権利を持つ一方、日本を防衛する義務は課されておらず、不平等条約となっていました。

それを改定したのが1960年の安保条約。第6条に「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」と規定。

第5条では「各締約国(日米両国)は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動する」と定められました。

第6条で米軍が極東の安全保障のために日本に基地を置くことを規定し、第5条では日本への攻撃に対して米国が対処することを明確にしました。

しかし、安保条約は東西冷戦下で締結されたものであり、冷戦終結後は当然その意義と目的が変質。米国は日本が軍事的に国際貢献を果たすことを求める姿勢を徐々に強めていると言われています。

現に、1992年には国連平和維持活動(PKO)協力法が成立し、自衛隊の海外派遣を開始。1995年、米国防総省が「東アジア戦略報告書」の中で日本を「冷戦後の地域秩序形成に欠くことのできないパートナー」と明記し、日本では1999年に周辺事態法が成立。日米の極東での協力範囲を拡大させました。

さらに2005年、米国防総省の「日米同盟、未来のための変革と再編」においては、日米協力の対象を世界とすること、共通戦略の下で安全保障環境を改善すること等を規定。安保条約は締結当初と比べると大きく変質しています。

そうした中での普天間基地問題。安保条約の意義と目的を国民全体で再確認することが問題解決のための大前提です。

2.第5期の日米同盟

安保条約に基づく日米同盟の機能は時代とともに変化しており、大きく分けると5期に整理できます。

米軍が日本駐留を開始したのは日本敗戦時。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、日本の基地は米軍の補給拠点となりました。これが第1期です。朝鮮戦争は3年間続き、その間の1952年に片務条約であった旧安保条約が締結されました。

第2期は、ベトナム戦争の後方支援基地として活用された1960年代。ベトナム戦争は1961年に本格化しましたが、その前年の1960年に現在の安保条約を締結。ベトナム戦争激化を見越して締結されたという見方もあります。

日本は兵站補給拠点となり、とくに本土復帰前であった沖縄の米軍基地は陸軍や海兵隊の実質的な前線本部。嘉手納基地からは爆撃機が直接ベトナムに向かって出撃。爆撃後は嘉手納基地に帰還しました。

第3期は1970年代から1980年代。ベトナム戦争が終わり、1972年には沖縄も本土復帰。米ソ冷戦時代であり、米軍と自衛隊の共同任務が拡充していきました。

航空自衛隊はソ連機の領空侵犯に対して米空軍と協力してスクランブル対応。海上自衛隊は米海軍と共同訓練を重ね、対潜水艦作戦に従事しました。

日米の軍事的協力が本格化し、1978年からは在日米軍経費の一部を負担する「思いやり予算」が編成されています。

第4期はポスト冷戦期。1989年に冷戦が終結すると、米軍は世界的な再編に着手。海外駐留基地の縮小方針が示される中、1996年には日米安保共同声明を発表。アジア太平洋地域に米軍10万人体制を維持することを前提に、自衛隊の役割を拡充。1999年の周辺事態法制定により、法的にもそのことが担保されました。

そして2000年代は第5期。対テロ戦争が主眼であったものの、最近の中国海軍台頭や北朝鮮の核武装によって、日米安保条約の機能はさらに進化しつつあります。

アジア太平洋地域10万人体制は続いており、米軍兵力は韓国の2万5千人に対して日本には3万6千人。日韓に加え、ハワイ3万7千人、洋上(艦隊勤務)1万人で10万人体制を支えています。

こうした経緯と文脈の中で、日米同盟や沖縄の基地問題等を考える必要があります。

3.客観的事実に基づく論理的検討

米軍は、陸海空三軍に海兵隊を加えた四軍で構成されています。在日米軍基地は内地(沖縄県以外の46都道府県)にもありますが、全体の74%が沖縄県に存在しています。その過重負担が沖縄の基地問題の端緒です。

基地全体の26%の負担にとどまっている内地にも四軍それぞれの基地がありますが、海軍と空軍が中心です。

主なものとしては、海軍の横須賀港(神奈川県)、佐世保港(長崎県)、厚木飛行場(神奈川県)。空軍は三沢基地(青森県)と横田基地(東京都)。いずれも飛行場です。

陸軍はキャンプ座間(神奈川県)に司令部を置いています。内地の海兵隊は岩国飛行場(山口県)のみです。

これに対して、沖縄県は海兵隊が中心。主なものだけでも、キャンプコートニー、キャンプシュワブ、キャンプハンセン、キャンプ瑞慶覧、普天間飛行場、伊江島飛行場、牧港など、その多さは際立ちます。

一方、嘉手納基地は空軍が中心ながら、海に面していることから海軍沖縄艦隊の一部も使用。ホワイトビーチは陸軍と海軍が共用しています。

これらの中でも、市街地の中にあって「世界一危険な飛行場」と言われているのが普天間。1996年、日米両国は普天間飛行場の日本への返還に合意したものの、沖縄県内の代替施設建設が条件。「返還」というよりは「交換」でしょう。一方、沖縄県は「県外、国外への移設」を主張。

普天間飛行場のすぐ北に位置するのが嘉手納基地。空軍の飛行場ですから、海兵隊と空軍が共用したらどうかという意見もありますが、海兵隊と空軍は別組織。縦割りの壁があり、空軍が同意しないと言われています。

日米同盟は重要です。同時に、過重負担の沖縄の負担軽減も必要です。そこで、鳩山前首相が46都道県知事を会議に招集して協力を呼びかけたところ、協力姿勢を示したのは橋下大阪府知事のみ。数人の知事は会議への出席すら拒否。典型的なニムビィシンドロームです。ニムビィシンドロームについては、僕のホームページからメルマガのバックナンバー(215号、5月11日付)をご覧ください。

一方、沖縄県の加重負担に配慮して、予算や国の事業等の面で様々な配慮と工夫を続けていることも事実です。そうした点も含めて、総合的に考えることも重要です。

2002年夏、野党時代の鳩山代表(当時)と一緒に沖縄の米軍基地を視察した際、鳩山代表も僕もグレグソン四軍司令官(当時)に対して「普天間飛行場の県外、国外への移転」の検討を要請しました。鳩山さんは、当時から真剣に沖縄県の負担軽減に腐心していたことを思い出します。

因みに、米軍駐留経費の受入国支援(負担)のトップスリーは、日本、ドイツ、韓国。それぞれ、44億ドル、15億ドル、8億ドル。日本が断トツです。経費全体に占める負担割合も、74%、32%、40%と日本が群を抜いています。

英語で「ホスト(Host)ネーション(Nation)サポート(Support)」のことを受入国支援と言います。まさしく直訳。一方、旧政権下で使われ始めた「思いやり予算」という用語は、国民の皆さんに誤解を生じさせる表現と言えます。

また、「思いやり予算」が直接的に米軍に貢献しているか否か、つまり「予算の支出先、受益者は誰なのか」ということも検証が必要です。

日米同盟に関する議論は、直観的、主観的、情緒的に行うことなく、客観的な事実に基づいて論理的に検討することが不可欠です。

安保条約の意義と目的、海兵隊の機能、抑止力の意味、米国の真意(世界戦略上の狙い)、日米両国にとってのメリットとデメリット。

国民全員が賛成できる結論はないと思います。しかし、客観的な事実に基づいて、コンセンサスを形成しなければなりません。

(了)


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