5月7日の読売新聞の1面記事は自社の政策提言。タイトルは「経済再生へ政策転換を」。社論を明確にすることは良いことだと思いますが、事実を正確に認識し、報道することにも腐心してもらいたいと思います。内外の変化への対応に失敗した結果の「失われた20年」。それを生み出した「55年体制」の呪縛の下で行われてきた前政権までの政策からの転換が必要です。現政権もそれを提唱して政権交代に至りました。21世紀は大競争時代。国内でコップの中の争いをしている場合ではありません。
1.需給バランス
昨年の総選挙の結果は、多くの国民の皆さんの深層心理において、日本の「国家としてのビジネスモデル」に限界を感じていることが影響していたものと思います。
その限界の背景に潜む問題点についての認識を共有し、新しい政策の方向性、新しい日本のビジネスモデルを実現しなければなりません。
問題点の第1は、人口減少社会になったにもかかわらず、人口増加の下で成功を収めた国や地方自治体の政策運営や経済界の指向性が続いていることです。
典型例は宅地造成や市街地開発。多くの国民が持ち家に憧れ、人口増加が続いていた中では、郊外の森林や山を切り拓いて宅地や市街地を拡大していくことは合理的でした。
しかし、今や人口減少社会。人口が減るということは家や宅地に対する需要が減るということ。しかも、親の家を相続する人もいます。
需要が減る中で供給を増やせば、当然価格は下がります。地価下落の長期的傾向は「需給バランス」から言えば当然の帰結です。
中心市街地の地価も下がり、若い世代は新たに宅地造成された郊外に居住し、買い物は車でショッピングモールや大型店に出かけてまとめ買い。
中心市街地の人口が減り、地価の値下がりで資産価値も低下。商店街の商売も先細り。それでもなお、行政や経済界が郊外の宅地造成や市街地開発を進めれば、マイナススパイラルになるのは当たり前。言わば「みんなで貧乏」になる悪循環です。
読売新聞の提言は5つ。「コンクリートも人も大事だ」「デフレ脱却に公共事業は必要だ」という2番目の提言を援用する際にも、そういう悪循環は回避しなければなりません。
宅地造成や市街地開発も公共事業。読売新聞も人口増加社会の下の公共事業を単純に増幅することは念頭に置いていないと思います。
空港も高速道路も新幹線も同じ。旅客需要が一定、または減少する中で、同じ地域に全部作れば需要の奪い合い。いずれも経営が厳しくなります。
水需要に対応するダム、各自治体に建設される同じような公共施設等も同じ。「需給バランス」を考えた合理的な公共事業政策が不可欠です。
2.選択と集中
読売新聞の3番目の提言は「雇用こそ安心の原点」、4番目は「内需と外需の二兎を追え」、5番目は「技術で国際競争を勝ち抜け」。いずれの内容にも異論はありません。
このメルマガでこれまでお伝えしている僕自身の持論、主張とも整合的です。ご興味がある方は過去のメルマガ(例えば今年2月22日付のVol.210等)をホームページからご覧ください。
ところで、雇用政策や科学技術政策にも財源は必要です。そのためにも、経済効果や政策的合理性の乏しい公共事業に貴重な財源を投入することのないよう、効果的で合理的な公共事業政策が重要です。
クリントン大統領の時代に米国の経済と財政の状況は大きく好転。クリントン大統領の経済政策は「クリントノミクス」と言われることもあります。
「クリントノミクス」でも公共事業が行われましたが、その手法は「選択と集中」。例えば、シリコンバレーの道路や公共施設を整備し、シリコンバレーの産業基盤を集中的に強化しました。
「需給バランス」「選択と集中」という観点から考えると、ハブ空港、ハブ港湾(スーパー中枢港湾)等の大規模インフラに対する戦略も熟考が必要です。
留意すべき点のひとつは、国内での無用の競合を回避すること。羽田、成田、関空、中部、福岡等が、国内で競争してハブ空港の地位を競い合う局面ではありません。
もうひとつは、アジアという観点から考え、既に存在するリソースの有効活用を図ること。もちろん、浦東(中国)や仁川(韓国)と日本のハブ空港候補は競争しなくてはなりません。しかし、この際、アジアのハブ空港整備コストは中国や韓国に負担してもらい、日本はそれを有効活用し、財源は他の分野に使うという発想もあるでしょう。
港湾も同じです。とくに港湾の場合は後背地に大きな市場を抱えていることが空港以上に必要条件となります。ということは、日本にこれからハブ港湾をつくることの合理性についてはよく考えることが必要です。むしろ、洋山(中国)や釜山(韓国)を有効活用するということも賢い戦略のひとつ。
それこそが、アジア全体としての「選択と集中」。日本の空港や港湾は20世紀後半のアジアのハブ機能を果たしました。しかし、今や中国、韓国も台頭。日本が21世紀前半に求められる機能、果たしうる役割、追求すべき戦略は20世紀後半と同じではないはずです。
中国や韓国がインフラ整備に財源を投入している間に、日本は次のステップに向けた新たな戦略を実行することが時代に適した効果的で合理的な「選択と集中」かもしれません。固定観念や先入観から脱却できるかどうかがポイントです。
3.ニムビィシンドローム
公共政策の分野で、米国で誕生した「ニムビィシンドローム」という専門用語があります。具体的には「Not In My Back Yard」の頭文字をとって「ニムビィ(NIMBY)シンドローム」です。
「需給バランス」「選択と集中」に加えて、日本の改革と発展のためのキーワードのもうひとつは、この「ニムビィシンドローム」です。
「Back Yard」は裏庭のこと。したがって「Not In My Back Yard」は「裏庭ではやめてくれ」というような意味です。つまり、「ニムビィシンドローム」は「俺の家の裏庭では余計なことはしてくれるな」「私に不利益なことはするな」という人間の本質的傾向を示します。
米国でこの用語が生まれ、各国研究者の間で使われているということは、「ニムビィシンドローム」はどこの国でもある現象。それもそのはず、人間の本質的傾向だから当然です。
しかし、この傾向の強弱には国によって差や特徴があり、それが各国の財政状況の違いに反映されている面があります。日本はその傾向がかなり強いかもしれません。
新たな宅地造成や市街地開発が人口減少社会の中では合理的ではない方向性だとわかっていても、それに関わっている人たち(その方向性を維持したい首長・議会・行政・業界関係者)、つまりステークホルダー(利害関係者)は事業の継続を望むでしょう。
「ニムビィシンドローム」によって事業は継続され、「需給バランス」を無視した造成や開発が行われ、土地は売れ残り、既存の宅地や旧市街地の地価まで値下がりし、国民全体の資産価値も低下。造成や開発に予算を投入した分だけ財政余力は減少し、他の政策に投入し得る財源を失い、「選択と集中」とは逆方向。言わば「みんなが苦しくなる」展開です。
ハブ空港やハブ港湾も同じです。「ニムビィシンドローム」で全国各地のステークホルダーが「うちこそは」「うちだけは」という予算の獲得合戦をやり続ければ、結局、中途半端な空港や港湾ばかりが建設され、利用されず、採算のとれないお荷物になります。そういうことをやめることが、まさしく「政策転換」です。
そういう観点から言えば、読売新聞の1番目の提言「マニフェスト不況を断ち切れ」「政策ミスで日本を破滅させるな」という指摘は事実誤認です。正確な報道とは言えません。
「失われた20年」は、過去の政策運営が「需給バランス」を無視し、「選択と集中」を行わず、ステークホルダーによる「ニムビィシンドローム」を放置、助長してきた結果です。
マニフェストはそれを断ち切り、新しい政策として何を行うべきかを示したものです。必要性と合理性に乏しい予算を抽出しても、その予算を止めるためにはステークホルダーの「ニムビィシンドローム」を克服しなくてはなりません。
既存の予算や政策のステークホルダーは「無駄ではない」と言い張るでしょう。しかし、皆がそれを言い張ること自体が「ニムビィシンドローム」。それを理解し、何かを止める勇断をしない限りは、日本の改革、発展は実現しません。
現政権のマニフェストも、現実を直視し、修正が必要な点には虚心坦懐に対応すべきでしょう。しかし、現実を優先し過ぎるあまり、マニフェストに掲げた方向性への「政策転換」を修正するための「政策転換」を行うことは、本末転倒であり論理矛盾。そのことを明確に認識しなくてはなりません。
因みに、普天間問題にも「ニムビィシンドローム」は関係しています。日米同盟の重要性を指摘する一方で、沖縄以外の46都道府県が「うちはいやだ」と言っているだけでは、沖縄の負担軽減は実現しません。
内政も外交も「ニムビィシンドローム」の超克が必要です。
(了)