元日銀マンの大塚耕平(Otsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです。
昨年の6月にスタートしましたOKマガジンも、第20号になりました。最近は、新聞でもこのメルマガのことを取り上げて頂き、おかげさまで配信登録者数もかなり増えています。根気よく読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます。
今度の日曜日(3月10日)には、2回目の国政報告会(OKカンファレンス)を豊橋商工会議所401号室で開催させて頂きます(午後2時開会)。経済問題と医療制度改革について、ビデオなどもご覧頂きながら皆さんと意見交換をさせて頂きたいと思います。東三河地区の皆さん、お時間があれば、是非ご参加ください。お待ちしています。
今回は、いつもとはちょっと雰囲気の違う話題からスタートさせて頂きます。
1.米軍グレグソン四軍調整官の発言:米国の「国益」
先週、党の沖縄調査団の一員として沖縄に行ってきました。今国会で審議されている沖縄振興特別措置法案に関する調査のためです。
沖縄に関する政策と言えば、米軍基地問題を避けては通れません。現地視察の一環として、米軍嘉手納基地を訪問し、在日米軍の最高指揮官のひとりである、グレグソン四軍調整官(中将)と面談しました(四軍とは、陸海空軍と海兵隊の4つを指します)。野党単独の使節と四軍調整官が面談することは極めて異例のことです。米国政府は、各国の政治経済情勢を迅速・的確に分析し、変化に機敏かつ柔軟に対応します(どこかの国とは大違いです)。米国政府の現在の政策の是非は別にして、グレグソン中将が野党単独使節と面談したという事実は、米国政府が日本の将来の政治情勢をかなり流動的に考え始めている証左と言えるでしょう。
ところで、その席では、在日米軍の整理・縮小に関する議論が活発に行われました。僕も次のような質問をさせて頂きました。
「東アジア地区の平和が保障され、かつ、米軍のグアム等への移転に関する財政的負担を日本が負うとした場合、在日米軍の整理・縮小・撤退に何か障害はありますか?イエスかノーでお答えください」
それまで歯切れのよかったグレグソン中将ですが、一瞬、考え込んで、「仮定の質問にはお答えできない」という回答でした。
予想された回答でしたが、逆に、予想どおりの回答が出てきたことに重要な意味があります。つまり、(1)東アジア地区の平和が保障され、かつ(2)在日米軍の撤退経費を日本が持つのであれば、表面的に考えれば、在日米軍の撤退に「障害」はないはずです。しかし、実際には「障害」があるのです。それは、米軍の日本駐留には、「別の目的」もあるからです。それこそが、「米国の国益」なのです。つまり、全ての「障害」が除去されても、「米国の国益」のためには在日米軍の整理・縮小・撤退は簡単にはできないということです。グレグソン中将、正直で好感の持てる方でした。
ここでは、「米国の国益」が何かということは考察しません。また、検証もできません。問題は、「米国の国益」に対する「日本の国益」は何かということです。「国益と国益の調整」こそが「外交」なのです。「国益」なき国に「外交」はありません。
2.日本の「国益」、ムネオ外務省の「私益」
今や、「外交」は、安全保障面だけでなく、経済面、文化面等、多岐に亘っています。つまり、「国益」なき国には、諸外国と渡り合うべき経済政策の中身も確定できません。過去数十年の「外交」の場における日本の経済政策は、常に、単なる「手土産」に過ぎず、相手国(とくに米国)と対等な立場に立って、日本の「国益」を守るというものではありませんでした。先日のブッシュ大統領と小泉首相の首脳会談も、また、その延長線上の「外交」に終始してしまいました。残念なことです。
ムネオ氏の事件は、もっと明確に日本の「外交」の問題点を露呈しています。読者の皆さん、もう、多くを語らなくてもお分かり頂けますよね。彼の行動が、どのような「国益」を守ったと言えるのでしょうか。「国益」は一切関係なかったようです。彼が「外交」を隠れ蓑にして追求したのは、「国益」ではなく、「私益」です。そして、「外交」実務を国民から負託されている外務省が、その「私益」追求に手を貸していたということです。
厳しい経済情勢の下で、多くの企業や勤労者の皆さんの間で、「会社の繁栄なくして社員の幸福なし、社員の幸福なくして会社の繁栄なし」という考え方が浸透してきました。国家と国民の関係も同じです。「国家の繁栄・安全なくして国民の幸福はない、国民の幸福なくして国家の繁栄・安全はない」ということです。「国益」とは「国民益」です。そして、「国民益」とは「国益」です。
「私益」追求のために「国益」を害したムネオ氏、その走狗となってムネオ氏の「私益」追求に加担した外務省、彼らを放置したままでは、国民の幸福も国家の繁栄もあり得ません。おっと、そもそも、外務省自身が「私益」追求のために組織犯罪を犯していましたね。似た者同士ということでしょうか・・・・。日本国外務省改め、ムネオ外務省と呼びましょう。
なお、「国家の繁栄と安全の追求の仕方」、言い換えれば、「国民の生命と財産の安全の守り方」は、必ずしも一様ではありません。この点には、留意を要するでしょう。
3.総合デフレ対策は有効に機能するか(1):適切な政策の「手段」
先週水曜日(2月27日)、政府の総合デフレ対策が発表されました。「対策の中身がいいのか、悪いのか、よく分からない。何やら専門的すぎて、評価できない」という方も少なくないと思います。そこで、考え方のひとつをお示ししたいと思います。
政策には、「目的」と「手段」があります。「目的」とは、「最終的な目標」と言い換えていいと思います。つまり、国民の皆さんが困っていることを改善することです。「手段」とは、「目的」を実現するための具体的方法であり、「政策」とか「対策」という言葉とほぼ同じ意味です。そして、正しい「目的」を設定し、「目的」実現のために有効な「手段」を駆使し、かつ、それが失敗した場合に「責任」をとる政府が「良い政府」です。
さて、今、多くの皆さんが困っているのは、金融が逼迫していることです。金融機関からなかなか融資が受けられず、健全な経営内容の企業まで資金繰り倒産を起こしている状況を改善することです。これが、今回の総合デフレ対策の「目的」のひとつです。
総合デフレ対策のメニューの中には、不良債権処理の促進、一層の金融緩和策等の「手段」が掲げられていますが、これらを駆使することで、多くの皆さんが困っている金融機関の「貸し渋り、貸し剥がし」が解消されるでしょうか。「貸し渋り、貸し剥がし」に起因する資金繰り倒産を防ぐという「目的」を達成できるでしょうか。
政策の「手段」には、「間接的な手段」と「直接的な手段」があります。つまり、不良債権処理や金融緩和策というのは、その結果として、金融機関の財務内容が改善し、融資スタンスが前向きになるということがあって、はじめて「貸し渋り、貸し剥がし」現象の解消に寄与します。つまり、困っている企業の皆さんから見れば、他力本願の「間接的な手段」に過ぎないのです。
一方、総合デフレ対策の中には、貸し渋り対策として、売掛債権担保融資保証制度や信用保証制度の充実等の「手段」も掲げられています。これらは、企業の皆さんが自分から活用する気になれば、つまり、自発的な行動をとれば、「貸し渋り、貸し剥がし」解消に役立ち、資金繰り倒産防止という「目的」に直接的に貢献するかもしれません。さきほどの他力本願の「間接的な手段」に対して、自己実現可能な「直接的な手段」と言えます。
・・・と、ここまで読んで頂くと、「そりゃあ、けっこうなことじゃないか」とお感じの方も多いと思います。問題は、その「直接的な手段」が、本当に「お題目通り」の内容であるか否かという点です。「見かけ倒し」、「看板倒れ」、「過大広告」では困ります。次に、そのことを検証してみましょう。
4.総合デフレ対策は有効に機能するか(2):信用保証制度の問題点
今回の総合デフレ対策に限らず、過去の景気対策においても、信用保証制度の基準緩和と予算枠拡大が行われてきました。その方向性は正しいと思います。基準緩和とは、信用保証制度を利用できる企業の財務内容等の認定基準を緩くするということです。
基準緩和の結果、信用保証制度を利用できる対象企業の数が多くなりました。予算枠が拡大する一方で、対象企業数も増加している訳です。1社当たりの利用可能額がどのぐらいになるかは、対象企業数の増加と予算枠の拡大のバランスで決まることになります。
そのうえ、いくら公的な信用保証制度と言っても、焦げつき(企業から金融機関への返済不能に伴う、保証機関から金融機関への弁済)がたくさん出ては困るということで、保証審査が厳しくなる傾向があります。
その結果、政府がいくら信用保証制度を拡充していると胸を張ってみても、実際には、個々の企業としては、従来より信用保証制度が利用しづらくなっているという指摘が少なくありません。
現に、財務内容はまったく悪化していない、むしろ改善している企業が信用保証制度を利用しようとしたところ、例年並みの金額すら保証してもらえなかったという事例がたくさん聞かれています。例えば、毎年、年度末に5千万円の保証付融資を受けることを前提に資金繰りを行っていた企業が、「今年も5千万円の保証をお願いします」と申請したところ、「いえ、今年は3千万円が限界です」と突然言われれば、あと2千万円を何とか工面しないと資金繰り倒産という事態になるのです。
前項で触れた売掛債権担保融資保証制度についても同様です。制度自体はけっこうな内容ですが、なんと、行政組織や大企業向けの売掛債権には譲渡禁止特約がついているので、そのままでは融資の担保に使うことはできません。
このように、いかに「直接的な手段」を用意したとしても、それが有効に機能するかどうかは、現場の実態をフォローしなくては分からないのです。一昨日(3月1日)の党の財政金融部門会議で、このことを経済産業省の担当官に指摘したところ、「個々の事例は知りませんが、制度の実態としてはそんなことはありません」という意味不明の答弁をしていました。「個々の事例を知らない」で、どうして「実態はそんなことはない」と言えるのでしょうか。
日本の歴代の政府や官僚制度の構造問題は、政策の「目的」と「手段」のミスマッチにとどまらず、この例のように、「手段」が有効に機能しているかどうかを、汗をかいて調べるという姿勢に欠けていることです。まさしく、「木で鼻をくくったような仕事ぶり」です。2年単位でローテーションする(担当ポストを替わる)多くの官僚の皆さんにしてみれば、「制度を作った、法律を作った、予算を拡大した」ことが人事考課上のプラス評価に繋がるために、「結果のフォローには関心がない」という構造です。これが無責任な行政を生み出し、HIV等の薬害問題、BSE(いわゆる狂牛病)問題など、多くの事件、事故に繋がっているのです。この点の構造改革を断行しないで、小泉首相はいったいどんな構造改革を行うと言うのでしょうか。
とは言え、良心に目覚めている官僚、公務員の皆さんも少なくないと思います。心ある官僚や公務員の皆さんの決起を期待しています。一緒に頑張りましょう。
(了)