政治経済レポート:OKマガジン(Vol.135)2006.12.19

参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです


1.「儲ける」ことの意味

ライブドア事件と村上ファンド事件の裁判が始まりました。企業家の倫理や規範意識が問われる展開となるでしょう。経済活動、つまり「もうける」ということの意味も議論されそうです。

日本には漢字という素晴らしい文化があります。漢字のつくりをジッと眺めると言葉の本来の意味がわかります。

「もうける」は「儲ける」と書きます。「儲」という漢字は「信」と「者」から構成されており、信頼される者が儲かる、あるいは信頼のない者は儲からないということを示唆しています。

顧客から信頼される企業、経営者と社員が信頼しあう企業、社員同士が信頼で結束している企業こそが「儲かる」ということです。逆に言えば「儲け」は後からついてくるものかもしれません。

顧客から信頼される経営姿勢や理念、経営者と社員が共有する価値観や目的。その結果として「儲け」が発生するのです。これこそが「儲け」の本来の姿。拝金主義や利益至上主義がはびこり、経営姿勢や理念、価値観や目的がなおざりにされている日本社会のあり様が問われているのです。

2.「働く」ことの意味

そんな折から、労働法制や雇用ルールの変更が検討されています。厚生労働省の労働政策審議会が年内に最終報告を行うそうです。

ホワイトカラー・エグゼンプション(労働時間規制の適用除外)制度や解雇の金銭解決制度が検討の俎上に上っています。いずれも、これまでの日本社会のあり様を根本的に変える可能性があります。

とりわけ、解雇の金銭解決制度が気になります。解雇を巡る紛争の解決手段として、年収の2倍程度を下限とする金銭給付により解雇を認めるという制度です。解雇権の乱発につながるという批判が聞こえますが、それ以上に根深い問題があります。

そもそも、「儲ける」ためには経営者も社員も「働く」ことが必要です。「儲ける」ことの本来の意味から言えば、経営者と社員が理念や目的を共有して「働く」ことによって、顧客から信頼され、正しい「儲け」が生み出されます。「働く」ことは金だけが目的ではないはずです。

金さえ払えば社員を解雇できるという金銭解決制度は、逆に言えば、「働く」ことは金のためだということを肯定しているようなものです。金だけのために集まった社員によって、顧客から信頼される企業になるでしょうか。

先週末の新聞報道によれば、結局、金銭解決制度の導入は見送りになるそうですが、当たり前です。しかし、金銭解決制度の導入を求めただけでも財界の汚点。この汚点は記録に残ります。

ライブドア事件や村上ファンド事件に苦言を呈していた財界は金のために血眼になる拝金主義を厳しく批判していたはずです。その財界自身が金銭解決制度の導入を望むのは論理矛盾であり、堀江氏や村上氏に投げかけていた批判が今さらながら空々しく聞こえます。

ホワイトカラー・エグゼンプションも働き方の多様化に対応することが目的であれば議論する価値がありますが、単に残業代を減らしたい、人件費削減で業績を上げたいということならば、拝金主義経営にほかなりません。「儲ける」こと、「働く」ことの本来の意味を再認識する必要があります。

3.ノブレス・オブリージュ

ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)はフランス語で「高貴な義務」と訳され、「多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」という聖書の一節に由来する言葉です。転じて、現代では「地位の高い者には責任が伴う」という意味で使われています。

ホワイトカラー・エグゼンプションによる労働時間規制除外のひとつの条件として、「業務上の重要な権限及び責任を相当程度伴う地位にある者」という定義が議論されています。

これもノブレス・オブリージュの延長線上の発想と言えます。権限と責任を与えられた社員は、それ相応の地位にあるのだから、給料の多寡や残業手当にこだわらずに、負託を受けたミッション(仕事)を果たすべきだというロジックです。

ノブレス・オブリージュに似たような意味でモラル・エコノミーという言葉もあります。「特権は、特権を持たない人々への義務によって釣り合いが保たれる」ということを示唆しています。

より一般的に言えば、ノブレス・オブリージュやモラル・エコノミーは、富裕者、有識者、権力者が社会の模範となるように振る舞うべきだという「社会的責任」と同じ意味で使われています。

普通の国民、勤労者に対して、ノブレス・オブリージュに基づくホワイトカラー・エグゼンプションの導入を求める財界や官僚。自らはノブレス・オブリージュを果たしているでしょうか。もちろん、政治家が真っ先にノブレス・オブリージュを問われることは言うまでもありません。政治家は一罰百戒。ノブレス・オブリージュを常に意識して自らの出処進退を潔くしなければなりません。肝に銘じます。

最近では、経営者はそれなりに責任をとるケースが増えました。一歩前進です。

問題は官僚。様々な不祥事が起きてもなかなか辞めません。「職責を果たすことで責任をとる」という実に都合の良いロジックで言い逃れをします。頻繁に発生している公金流用は民間人であれば立派な犯罪。にもかかわらず、流用した資金を返して、あとは「職責を果たして責任をとる」とは笑止千万。

こういう官僚組織は、国民や勤労者に対してノブレス・オブリージュの意味を微妙に含むホワイトカラー・エグゼンプションを議論する資格はありません。

4.不祥事

ところで、インターネット上のフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」によれば、一般人による犯罪・事故・不正行為などは、通常は不祥事と言わないそうです。不祥事という言葉は、社会的責任を負い、社会的影響力がある者に対して使われます。

不祥事と言えば、政府税調会長を巡って起きている問題が頭に浮かびます。この政府税調会長は、国民、勤労者に対しては配慮のない税制改正答申を首相に提出したばかり。政府税調会長と言えば、並みの政治家や官僚よりもはるかに社会的影響力があり、高い社会的地位にあります。

その政府税調会長に関して、昨日(18日)、安倍首相は「職責を果たすことによって、責任を果たしてもらいたい」と発言したそうです。どこかで聞いたような実に都合の良いロジック。

安倍首相の発言において、前段の「職責」はまさしく「仕事上の責任」、後段の「責任」はノブレス・オブリージュ、つまり「社会的責任」を意味します。「仕事上の責任」と「社会的責任」は別のものですから、「職責を果たすことで責任をとる」ことは実はできません。

そういう言葉の定義すら曖昧なようでは、美しい国など創れませんよ、安倍さん。このメルマガが読者の皆さんに届く頃には、政府税調会長が自ら出処進退を明らかにしていることを期待しています。

蛇足ですが、ホワイトカラー・エグゼンプションも、「仕事上の責任」と「社会的責任」、つまりノブレス・オブリージュを混同しないように議論する必要があると思います。

それでは皆さん、良い年をお迎えください。来年もよろしくお願い致します。

(了)


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