参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです
今年最後のOKマガジンです。年の瀬も押し迫って、ホテルやマンションの構造設計偽装、株取引誤発注を巡る混乱など、日本社会が抱えつつある問題の本質が垣間見える事件、事故が頻発しています。
1.時価総額と企業価値
今月8日、みずほ証券が、東証マザーズに新規上場されたジェイコム(人材サービス会社)株について、誤って発行株式数(1万4千5百株)を上回る大量売注文(61万株)を「1円」で出してしまいました。
悪い時には悪いことが重なります。みずほ証券が誤発注を取り消そうとしたものの、東証のシステムに欠陥があり、注文取り消しができない状態となりました。
その結果、市場は大混乱。20億円儲けた個人投資家、利益を返上すると言い出した外資系証券会社、東証とみずほ証券の責任問題と損失配分など、様々なことが話題になっています。しかし、こうした話題以外にも、深層に潜む重大な問題があります。
この日上場されたジェイコム株は、午前9時27分に67万2千円で初値がつきました。発行株式数(1万4千5百株)に乗じて計算すると、ジェイコムは時価総額97億4千4百万円の企業として市場に認知されたことになります。
ところが、みずほ証券の誤発注、東証システムの欠陥により、その日の相場は乱高下。高値は77万2千円(終値も一緒)。その時点で、ジェイコムは時価総額111億9千4百万円の企業に「成長」しました。一方、安値は57万2千円。その時点では82億9千4百万円の企業に「縮小」したことになります。
時価総額とは何でしょうか。企業価値とは何でしょうか。ジェイコムという企業は、12月8日のこの日、29億円(高値時価総額と安値時価総額の差額)も時価総額=企業価値が変動するような、設備投資、新規事業の展開、事業の成功、あるいは失敗があったのでしょうか。
「時価総額と企業価値は違うでしょ。そもそも株式市場とはそういうものだよ」という投資家の声が聞こえてきそうですが、その意見、本当にそうでしょうか。
「貯蓄から投資へ」。耳慣れたフレーズになりました。たしかに間接金融から直接金融への転換が必要です。だから「貯蓄から投資へ」。僕も賛成です。
しかし、投資とは長期的な企業価値へのコミットメントのはずです。投資家の期待に応えるために、企業の経営者も従業員も長期的な「成長」を目指して頑張ります。頑張った成果が業績として現れれば、株価は上昇、配当が増加して投資家は報われます。これが健全な資本主義です。少なくとも、業績が決算に反映される3か月間、半年間、1年間が投資の時間的ベンチマーク(基準)になるべきではないでしょうか。
2.場立とシステム売買
時価総額=企業価値の問題だけではありません。価格の動きにも大きな問題が潜んでいます。
12月8日のジェイコム株の売買状況をよく見てみると、大量の売買が成立しても価格が動かない時、ごく少数の売買でも価格が動いた時、その両方の場面が混在しています。これまた「そんなの、当たり前じゃないか」という投資家の声が聞こえてきそうですが、本当にそうでしょうか。
午前9時37分、467万1千4百株の売買が成立しています。誤発注取り消しができないことを認識したみずほ証券が大量に買い戻した瞬間です(蛇足ですが、みずほ証券が直接買い戻したのではなく、別の証券会社経由とも言われています)。この売買によって、株価は2千円上昇しました。それはそうです、そんなに買い手がいる訳ですから。
午前9時57分。今度は1株の売買が成立しました。買い手が誰かは分かりません。しかし、ここでも株価は2千円上昇しました。
2千円分を時価総額に換算すると2千9百万円。1株を買った投資家1人の評価により、ジェイコムという企業は2千9百万円も企業価値が増したのです。たった1株で、みずほ証券の467万1千4百株と同じ効果を与えた訳ですから、この投資家、まるで「相場の神様」のようです。
かつて、場立(ばたち)と言われる市場の番人が売買を成立させていた頃は、買い気配と売り気配の価格が離れていれば、なかなか取引は成立しませんでした。もちろん、離れていても指し値で売買を行う投資家もいましたので、必ずしも成立しない訳ではありません。
但し、気配価格が離れている中で成立する取引に関しては、「これは仕手戦ではないか」「これはインサイダー取引ではないか」と推測する場立の「勘」が働き、証券市場の信頼を守るために慎重に対応してきました。
取引量と価格の関係においても、たった1株の取引で価格が大きく動くようなことは稀でした。そこには、場立という「人間」の経験と知恵と責任感が介在していたのです。
システム売買に移行し、相場の動きの傾向は明らかに変わりました。気配価格が離れていても取引が成立しやすくなり、少数の取引でも価格が動きやすくなりました。場立からシステム売買に移行した宿命です。
これを、時価総額=企業価値の観点から考えれば、要は、時価総額=企業価値の安定性が低下したとも言えます。「貯蓄から投資へ」という方針は、企業の経営者や従業員にこういう状態を提供することを狙いとしたものだったのでしょうか。ちょっと違うような気がします。
3.投資家とプレーヤー
投資家という言葉からは、企業の業績や財務内容、経済環境を分析し、長期的な視点から投資を行うというイメージが伝わってきます。あるいは、企業の将来性や経営者の才能、人間性を評価し、将来のリスクはあっても、企業や経営者を育てるために投資を行うという語感が伝わってきます。
一方、最近の投資家は、ジッと取引画面を見つめ、従来型のアプローチとは異なるセンスと経験によって、気配価格が離れていても確実にヒットしていきます。投資家というよりプレーヤーという表現が適当かもしれません。
今回のジェイコム株を巡る騒動から、一段とそうした印象が強まりました。個人投資家は必要です。プレーヤーの存在も否定するものではありません。しかし、経済全体として、あるいは、少々大袈裟かもしれませんが、日本国民の総意として、株式市場に何を求めるのかということを、もう一度よく考えておく必要があると思います。
現状のままでは、「貯蓄から投資へ」ではなく、「貯蓄からプレーへ」という感じです。株式市場は、企業の経営者や従業員が自らの努力によって企業価値を高める場というよりも、まさしくマネーゲームの場、昔風にいうと鉄火場になってしまった気がします。
「民」であっても守らなければならない、公共性、倫理、社会的責任。構造設計偽装問題ではそのことが問われています。
株取引誤発注問題でも、東証や市場参加者に同様のことが問われています。それと同時に、この問題では、システム依存の社会構造、責任ある立場の人々(例えば、東証経営陣)のシステムリテラシーの低さ、さらには、株式市場の本質、「貯蓄から投資へ」という時流の意味など、日本社会の深層に潜む構造問題が問われています。
「構造偽装」、本当に危ないのは「日本社会の構造」だ。そう申し上げて、今年最後のメルマガを締め括らせて頂きます。「日本社会の構造問題」、来年の通常国会でシッカリ議論させて頂きます。1年間のご愛読、誠にありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。
(了)