【Vol.506】黒田日銀と植田日銀

3.11から12年が経過しました。改めて犠牲者のご冥福をお祈りしますとともに、被災者にお見舞い申し上げます。トルコ・シリアの地震被害にも支援が必要です。

NHKは南海トラフ地震に焦点を当てた特番を放送しました。繰り返し被害に遭い、防災意識を高める努力をしても、それでもなお回避できないのが自然災害です。お互いに気を付けましょう。

今回は、自然災害ならぬ、政策災害及びリーマンショック以来の金融危機についてです。いつも以上に少々マニアックかもしれませんが、ご参考になれば幸いです。

1.壮大な社会実験

米国スタートアップの拠点シリコンバレーで新興IT企業を中心に投融資をしていたシリコンバレーバンクが破綻しました。総資産は約2000億ドル。米国で16番目の資産規模の銀行です。破綻としては過去2番目の大きさです。

その直後、暗号資産関連企業との取引が多いシグネチャー銀行も破綻。13日にはファースト・リパブリック銀行の株価が80%下落。「負の連鎖」が続いています。

破綻の背景には、米国FRBによる利上げに伴い債券価格や暗号資産価格等が下落。銀行保有資産の評価額が目減りし、資金繰りに影響を与えていることが主因です。

要するに世界的な超金融緩和の中で勃発したロシアによるウクライナ侵攻がエネルギー・食料価格を高騰させ、世界的なインフレ傾向に発展。

各国金融当局が金融引締に転じたことから、超金融緩和の恩恵を受けて資産価値を膨らませていた銀行が窮地に陥り始めたという構図です。

もちろん、それ以外の要因も影響していますが、上述した構造が主たる要因のひとつであることは間違いありません。

まもなく退任する黒田日銀総裁が「だから利上げをしなかった自分の判断は正しい」と嘯きそうです。

黒田氏の後継総裁は植田和男氏に決定しました。就任早々、世界的な金融危機に直面することになるかもしれません。今回のメルマガは植田氏特集です。

植田氏はデフレ傾向が深化しつつあった1998年4月から2005年4月まで7年間、日銀審議委員を務めました。2000年末まで日銀に在職した筆者としては、能力、経歴、人柄等の観点から総裁候補として適格だと思います。

しかし、植田氏が成果を挙げられるか否かは定かでありません。黒田日銀が残した「負の遺産」はそれほど深刻です。

デフレの原因について、金融現象、実体経済、心理面等々の論争がありましたが、異次元緩和の背景には「デフレは金融現象であり、金融緩和で解決できる」との論理が通底していました。

黒田日銀の壮大な社会実験は「デフレは金融現象ではない」あるいは「金融緩和だけでは解決しない」ことを明らかにしましたが、その結果を得るために大きな代償を払いました。

黒田日銀の10年間に、他の要因も相俟って、日本の経済や社会で進んだ構造変化を確認しておきましょう。

第1に、コスト偏重思考の海外進出の結果、国内生産の輸出品が減少し、貿易収支は赤字化し、経常収支は第1次所得収支で支えられる構造になりました。

第2に、第1の変化の結果、サプライチェーンと原燃料・エネルギー・食料等の海外依存傾向が強まり、安全保障上深刻な問題を抱えた国家構造が極まりました。

第3に、2000年代後半までは、日本の企業・産業・経済に対する期待から円高傾向が続きましたが、以後は円安傾向。異次元緩和も影響して、単なる円安ではなく「日本売り」の様相を呈しています。

第4に、その間に技術革新が加速し、新興企業を巡る世界の勢力図が激変。流れに取り残された日本の生産性低迷は異次元緩和下で固定化しました。

第5に、第4の結果として諸外国の所得水準が上昇した一方で日本は停滞。勤労者や消費者の可処分所得は増えず、実体経済、心理面双方でデフレ傾向が強まりました。

第6に、2013年以降の異次元緩和によって日銀が大量に国債を購入し、事実上の「財政ファイナンス」状態が構造化しました。

こうした中、ロシアのウクライナ侵攻を機に食料・エネルギー等の国際市況高騰に伴って物価上昇。国民生活や企業活動が深刻な影響を受けています。

この間、自国通貨を発行する国の国債増発は無限大とするMMT(現代貨幣理論)が登場してリフレ派を助長した一方、TMT(伝統派)は古色蒼然たる財政健全化論を展開し続けています。

異次元緩和による「財政ファイナンス」の異常さが極まった中で、選択可能な政策的工夫はRMT(現実派)です。このメルマガでも何回かご紹介しています。

具体的には、日銀保有国債を一部永久国債化して財源確保を図る一方、ETF、REIT等を計画的に売却し、成長戦略と出口戦略を両立させます。そして、確保した財源で、人材育成、技術開発、産業支援、防衛強化等の喫緊の課題に迅速かつ現実に充当していくことが不可欠です。

2.実体経済重視

10年間続いた異次元緩和の下で、短期金利は0.2%、10年国債利回りも0.3%しか低下していません。

政策効果が確実に期待できるのは金利変化です。国債、ETF買入れ等の量的緩和は市場には影響しましたが、一般の家計・企業等の経済主体にはあまり好影響はありませんでした。

植田氏の金融政策に対する考え方を、審議委員時代の発言、退任後の寄稿等から推察します。金融関係者、市場関係者に多少でも参考になれば幸いです。

日銀は1999年2月にゼロ金利政策、4月には時間軸政策を導入しました。植田氏は操作対象(無担コールレート翌日物)のゼロ金利を続けるという日銀のコミットメントによって中長期金利も低下を促す時間軸効果を主導しました。

しかし2000年8月、日銀は政府の反対を押し切ってゼロ金利解除。その後、景気悪化とデフレが続き、ゼロ金利解除は批判に晒されました。

植田氏はゼロ金利解除に反対票を投じています。金融政策決定会合では「景気が底を打って反転に向かい、その持続性についてある程度の自信が持てれば、景気上昇に合わせて金融政策を微調整するという意味で利上げを始めることが正しい方法」と述べ、実体経済重視の姿勢を示しました。

デフレ懸念払拭まで続けるとコミットしていたゼロ金利をCPI(消費者物価指数)前年比上昇率がマイナスの中で解除するのは適切ではないとの判断だったのでしょう。植田氏の思考論理を想像するうえで参考になります。

ゼロ金利解除後の2001年3月、日銀は量的緩和という非伝統的政策を選択しました。政府からゼロ金利解除が批判され、日銀が代替策として世界初の手法を選択したという構図です。

当時、日銀は不良債権問題に伴う金融システム不安回避のために潤沢な資金供給を行っており、それを量的緩和と称することで面子を保ったとも言えます。

植田氏も量的緩和に賛成票を投じていますが、量的緩和は時間軸政策に資すると判断していたと思われます。

日銀は調節目標を無担保コールレートから当座預金残高に変更して量的緩和を行いましたが、無担保コールレート誘導目標も0.15%からゼロ%近傍に低下し、結果的にゼロ金利も復活。植田氏はその点を重視していたと考えられます。

しかも日銀は「CPI前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで量的緩和を継続する」とコミットし、植田氏が推奨する時間軸政策が強化されました。

審議委員退任後の2005年12月、植田氏は著書「ゼロ金利との戦い」の中で、出口戦略について「経済がある程度プラスの金利に耐えられるような力をつけたと判断できて初めて出口を出る」と述べ、ここでも実体経済重視の考え方を示しています。

黒田日銀による異次元緩和がスタートした後の2016年10月、証券アナリストジャーナル寄稿論文「マイナス金利政策の採用と功罪」では、国債購入による量的緩和の効果について否定的見解を示しています。

また、マイナス金利政策が預貸利鞘縮小によって金融機関収益を悪化させる副作用、日銀自身が逆鞘によって自己資本を毀損するリスクにも言及しています。

2018年8月の日本経済新聞「経済教室」では、異次元緩和の副作用を指摘しつつ「粘り強く現行の緩和策を続け、物価の上昇を待つこと」「無理をせずに2%達成をより中長期的な目標とすべき」と述べ、短期的操作の限界と中長期的方針の重要性に付言しました。

2020年12月の日本経済新聞「経済教室」では「増大を続ける政府債務残高の弊害の一つは、経済が金利上昇に脆弱なこと」として、財政拡大の限界に言及。日銀の国債買入れに伴って政府が財政出動する「ヘリコプターマネー政策」であれば効果を発揮しうるが、単純な異次元緩和は「財政ファイナンス」に他ならないと断じました。

2021年4月の日本経済新聞「複眼」では「誘導対象は10年より短い金利にして、10年債利回りは自由に変動させる」ことが適切とし、YCC(イールド・カーブ・コントロール)修正の必要性を主張しています。

ウクライナ戦争等に伴う物価上昇が顕現化していた2022年7月の日本経済新聞「経済教室」では、異次元緩和は「微調整に向かない枠組み」であり「一時的なインフレ率上昇で政策を正常化方向へ微修正すると、経済やインフレ率にマイナスの影響を及ぼす」と指摘。

足元の物価上昇は海外でのエネルギー・食料価格上昇や円安の影響という一時的要因によるものとし、円安牽制を目的に「海外中央銀行に続いて日銀が拙速に利上げを実施すべきではない」と主張したことは、植田氏が政策修正に慎重との見方につながり、政府与党が総裁人事案を決断する決め手となったのではないでしょうか。

一方「そもそもなぜ持続的な2%のインフレ率を目指すのか」と述べ、2018年に続いて2%目標の妥当性に疑義を呈し「異例の金融緩和枠組みの今後については、どこかで真剣な検討が必要」と述べ、金融政策の見直しに言及しています。

3.事実上の正常化

植田氏が10年続いた異次元緩和を、高速走行中の自動車が急に車線変更するかの如く大転換させることはないでしょうし、そもそもできません。黒田日銀が車線変更できない困難な状況を残したからです。

実体経済重視の植田氏は微妙なハンドル捌きを指向せざるをえず、異次元緩和の個々の政策手法の効果と副作用を論理的に分析し、現実的見直しを進め、「事実上の正常化」を徐々に進めると予想します。

「事実上の正常化」とは、異次元緩和の修正ではないと説明しつつ、実際には徐々に撤退措置を講じていくことです。

年間80兆円だった国債買入れ額も現在は削減、ETF・LEIT買入れも大幅に縮減、利回り変動幅上限引上げ等によってYCCを軌道修正、特別付利制度等を通じてマイナス金利政策による銀行負担軽減を図っていること等々の諸対応は、既に「事実上の正常化」に踏み出しているとも言えます。

植田氏は、実体経済・物価・市場等の動向を睨みつつ、金利等の操作目標を微調整(ファインチューニング)する金融政策本来の姿へ回帰を図る蓋然性が高いでしょう。

当面、金融政策決定会合の新メンバーが策定する4月「展望レポート」の内容に注目したいと思います。植田氏が拙速利上げに反対した昨年7月とは物価情勢が異なり、CPIは前年比4%程度上昇しています。

1月展望レポートの物価見通し(中央値)は23年度1.6%、24年度1.8%と2%を下回っていました。4月展望レポートで2%超えとなれば物価安定目標未達という判断を続けることは困難になるでしょう。

もうひとつ注目すべきは2013年1月の政府日銀の共同声明(アコード)の扱いです。声明文作成過程で日銀は「2%の物価目標は金融政策だけで達成できるものではない」と主張し、政府も構造改革推進と財政健全化にコミットしました。これが「本来の解釈」です。

ところが、2013年4月に黒田総裁が2%目標達成を「2年程度を念頭に実現する」としたことから、日銀は短期的ミッションを負い、共同声明の解釈が歪曲されました。その結果、金融緩和のみ突出し、構造改革と財政健全化は進捗していません。

政府が共同声明修正を検討しているとの報道も散見されますが、日銀の方針変更には常に政府承認が必要との悪しき慣行に繋がります。共同声明は修正すべきではなく、上記の「本来の解釈」に立ち戻ると説明するだけでよいでしょう。

2013年1月の共同声明は政府が日銀に政治的圧力で押し付けた感が強く、適切ではなかったと言えます。日銀と政府の十分な意思疎通を義務付けている日銀法第4条の定めを励行することで十分です。

日銀の財務健全性も注視します。日銀の広義資本金は11兆円余です。2%程度の金利上昇で債務超過になるほか、世界の中央銀行に前例のない株・ETF保有に伴い、日経平均が1万4千円程度を下回ると債務超過に陥ります。

黒田日銀の異次元緩和は、結果的に日本経済再生、潜在成長力向上に不可欠の成長戦略と構造改革のモメンタムを阻害しました。

また、財政規律を低下させ、異次元の工夫(例えば、日銀保有国債の一部永久国債化等)を駆使しなければ対応不可能な惨状を生み出しました。

客観的に、かつ控えめに表現しても、黒田日銀は難破しました。植田日銀は荒海をどう航海するのか、注視したいと思います。(了)