国会が閉会し、オリンピックは1ヶ月後。一方、新型コロナウイルス感染症は東京で再拡大の懸念。しかし、さらに懸念すべきは、世界の変化に日本が取り残されることです。コロナ禍の中で、世界の企業、産業、経済は変化を加速させています。デジタル後進国であることが白日の下に晒され、馬脚を現した感のある日本。世界の現実を認識できず、さらに遅れをとりつつあります。事態悪化を回避するため、自らできる努力を続けます。
1.ILOレポート「COVID19と仕事の世界」
4月発表の日銀短観では、業況判断指数(DI)の大企業製造業はプラス5。前回20年12月調査から15ポイントの大幅改善でコロナ前(2019年9月)水準を回復。外需が伸びる産業機械や自動車などが牽引役でした。
一方、大企業非製造業の業況判断DIはマイナス1と低迷。前回調査から4ポイント改善したものの、コロナ禍前(2019年9月)のプラス20には大幅に及びません。
3月労働力調査では非正規雇用就業者数が2054万人と13ヶ月連続前年割れ。非正規は3分の2が女性、平均給与は正規の3分の1。非正規雇用者が深刻な影響を受けています。
労働移動も緩慢。昨年の転職者数は前年比32万人減の約319万人と10年振りの減少。転職を希望しても実現しない状況です。
住宅では、高所得者層の購買意欲が旺盛で都心物件が値上がりする一方、近郊では値下がり。中低所得者層の購入手控え、持ち家売却の動きが続いています。
港区や千代田区等では前年比2桁増の値上がりとなっている一方、台東区や墨田区では前年比マイナス。住宅価格二極化は地域間の行政水準や所得の格差拡大につながります。
都心物件値上がりは高所得者層やファンド等による投資目的の購入が影響。不動産投資額に占める外国人比率は34%とリーマン・ショック直前以来の高水準。世界的な緩和マネーが流入しています。
こうした傾向は諸外国、とりわけ米国でも顕著。今年第1四半期のGDP(国内総生産)は前期比年率換算で6.4%増。今年末にはコロナ前を上回る水準まで拡大する見通しです。支えているのは業績好調な企業や高所得者層の購買力です。
米国の3月貴金属販売は前年比倍増。住宅価格も約1割上昇。富裕層が購入していますが、その一方、若年層、黒人等の経済的弱者は家賃が払えない状況です。
3月の家賃滞納世帯数は約1000万と借手の約2割。3月までの推計滞納額は1千億ドル(約10兆円)とコロナ前の数10倍に達しています。
自動車販売の動向も似ています。独BMW、GM等の高級車が前年比2桁増の伸びを示す一方、相対的に信用力の低いサブプライム層による自動車ローン延滞が急増。支払いが60日以上遅れている借入人は全体の1割を超えています。
失業率は昨年4月の最悪期から改善が続き、3月は6.0%。ところが、黒人失業率は9.6%。5%台だったコロナ前の水準と比べると深刻な状況が続いています。
結果的にコロナ禍の影響で富の集中が加速。米国の上位1%の富裕層は資産全体の3割を保有。コロナ発生後に米国内の所得上位20%は貯蓄を約2兆ドル増加させた一方、下位20%の貯蓄は1800億ドル超減少。
日米のみならず、先進国では概ね共通した傾向であり、今年1月公表のILO(国際労働機関)「COVID19と仕事の世界」というレポートを見ると、世界の状況がよくわかります。
2020年における労働時間損失は、リーマン・ショック時の約4倍に達し、フルタイム労働者(週48時間労働)換算で2億5500万人に相当。
この労働時間損失により、世界の労働所得は2020年に前年比8.3%減少。そして、労働時間損失の半分は雇用喪失、残りの半分は雇用維持のための労働時間短縮によるものです。
雇用減少率は男性(3.9%減)を女性(5.0%減)が上回り、成人(25歳以上、3.7%減)よりも若年層(24歳未満、8.7%減)が大きくなっています。
また同レポートは、産業間の二極化、国家間の二極化、労働者間の二極化が深刻化していることも指摘。さらに、二極化現象は全ての国に見られるものの、強力な労働市場支援措置を講じているフランス、韓国、タイ、英国等に比べ、ブラジル、コスタリカ、スペイン、米国等においてより深刻であるとしています。
こうした中、バイデン大統領は中間層復活を目標に掲げ、トランプ政権時代に引下げられた法人税率を引上げ、キャピタルゲイン課税等も強化する方針を表明。
バイデン大統領は「民主主義はもろい」と語り、格差拡大是正に躍起。米製造業の雇用は約40年間で4割弱、700万人減りました。中間層復活の成果が顕現化する前に中間選挙や大統領選挙を迎えると、トランプ再来のシナリオも現実味を増します。
2.K字型
日本でも世界でも二極化が進んでいることから、K字回復、K字経済という表現が浸透。二極化が進む状態をグラフ化すると上下に開くK字を描くことからの連想です。
経済回復の動きはアルファベットで象徴的に表現されます。「V字型」「U字型」「L字型」「W字型」「なべ底型」「√(ルート)型」「スウッシュ型」等が代表的表現です。
「V字型」は急回復を表します。現在の一部製造業の回復や中国や米国の景気回復のイメージです。
V字ほど急激ではなく、ゆっくり徐々に回復する「U字型」。底の局面がV字型よりも長いのも特徴です。
落ち込み後になかなか回復しない「L字型」。現在の飲食業や旅行業が当てはまります。景気や業績が回復していない、あるいは非常に緩やかな回復状況が続くことを意味します。
日本で1957(昭和32)年から1958(昭和33)年にかけて起きた「鍋底(なべぞこ)不況」。経済白書が「不況は中華鍋の底を這う形で長期化する」と記したことから誕生した表現ですが、今で言えば「L字型」と同じような感じです。
「W字型」は不況と回復、ダウンとリバウンドが繰り返されるパターン。「ダブルディップ(二番底)型」と言われる場合もあります。
投資家ジョージ・ソロス氏は2008年リーマン・ショック後の米国景気を「逆根号(ルート)型」と形容しました。
回復しても上向きの動きが頭打ちとなり、経済活動レベルはその後しばらく横這いで推移する展開が数学記号の「√」に似ていることからの連想です。
厳密に言えば、ルート記号の右は左より高くなっているので少々含意とは異なりますが、要するに「頭打ち横ばい」「本格回復ではない」という展開を表現したかったようです。
そして、回復と低迷が混在する二極化傾向を表すのが「K字型」。昨年夏頃から経済の専門家や市場関係者の間で使われ始めました。
最初は、巣ごもり需要やコロナ特需で業績を伸ばしているネット通販、製薬、IT等の分野や企業があることを表す言葉として登場。その後は二極化経済を象徴する表現として定着。
今春の企業業績は、その予想通り顕著な「K字型」「K字決算」となりました。3月決算上場企業のうち、業績修正を発表した企業は802社。売上高予想の上方修正は604社、下方修正は198社。修正企業の約75%は業績が上向いていました。
最終損益は増益企業が50%(529社)。一方、減益企業は35%(370社)、赤字企業は13%(135社)、合計48%となり、業種によって二極化が鮮明となる「K字型」決算でした。
トヨタ自動車はグループ全体の最終利益が10%増の2兆2452億円。前年に続く2兆円超え。半導体製造装置メーカー最大手の東京エレクトロンは、営業利益が過去最高、最終利益も2429億円と31%増でした。
自宅で過ごす時間が増え、家庭用ゲーム機やゲームソフト販売が好調な中、巣ごもり需要を取り込んだソニーグループの最終利益は前年比倍増の1兆1717億円、任天堂が前年比プラス85.7%の4803億円。いずれも過去最高を記録しました。
ソフトバンクグループは最終利益が4兆9879億円。投資先企業の新規上場や株価値上がりによって、国内上場企業として過去最高となりました。
一方、厳しい決算となったのは航空大手。JALが経営破綻後に株式再上場した2012年以降では初の最終赤字(2866億円)となったほか、ANAホールディングスも過去最大の4046億円の最終赤字を計上。
鉄道ではJR東日本が5779億円の最終赤字。通期で最終赤字となるのは1987年の国鉄民営化後初。他のJR5社と全国の主な私鉄15グループも全て最終赤字に陥りました。
百貨店では、休業や営業時間短縮が影響して三越伊勢丹ホールディングスが410億円の最終赤字。
東京ディズニーランドと東京ディズニーシーを運営するオリエンタルランドも541億円の最終赤字。通期としては1996年上場以来、初の赤字でした。
3.スウッシュ型とリスキリング
厳密に言えば「K」の下の線は横這っているのではなく、下降しています。コロナ禍に伴う消費者や経済の変化、社会の変化に対応できない企業や産業は、今後衰退し、淘汰されることも示唆している点に留意すべきです。国家も同じです。
コロナ禍における経済回復、コロナ後の新たな経済において、各国間および各国内での格差を決定づける要素は、ワクチン、デジタル、財政の3つです。
日本は海外と比べて感染者数や死亡者数を人口比では抑え込んでいるものの、今後については悲観的に評価されています。その原因は、ワクチン、デジタル、財政のいずれの項目においても日本は「負け組」だからです。
ワクチン接種進捗率は他の主要国よりも低く、今後の劇的な進展も確証を抱ける段階に至っていません。そもそも、ここまでの段階で接種対応が出遅れたこと、自国製ワクチンがない(技術力がない)ことが決定的な評価につながっています。
コロナ禍の経済対策やワクチン接種体制整備の過程で明らかになったデジタル後進国振り。さらには、財政赤字規模が先進国の中で最悪であることも潜在的に悲観視されています。
今現在の「K字型」傾向も問題ですが、より深刻な事態は中長期に亘って「K字型」傾向が続くこと、構造化することです。
実体経済と金融経済、製造業と非製造業、正規と非正規、富裕層と中低所得者層、大企業と中小企業、男性と女性、高齢者と現役・若年層、都市と地方、日本の二極化、「K字型」傾向の背景にある構造要因は重層的です。
しかも、デジタル化に対応できる先とできない先。その差は消費者への「ラストワンマイル」を工夫してビジネスにできる先とできない先の差にもつながっています。
日本は今回の苦境を契機に、これまで放置あるいは見て見ぬ振りをしてきた構造問題を直視し、その改革に本腰を入れて取り組み、「スウッシュ型」回復を目指すべきです。
「スウッシュ型」とは聞きなれない言葉ですが、スポーツ用品メーカーのナイキのロゴを思い浮かべてください。景気が落ち込んだあと、緩やかに回復しつつも、その後も成長を続けるパターンです。単純な「V字型」とは異なります。
ナイキの始まりは1963年。スタンフォード大学の学生だったフィリップ・ナイトとオレゴン大学の陸上コーチだったビル・バウワーマンがナイキの前身となるブルーリボンスポーツ(BRS)社を設立しました。
1966年にカリフォルニア州サンタモニカで第1号店を出店。日本のオニツカタイガー(アシックス)製品の輸入販売を始めました。
やがてオニツカタイガーの技術者を引き抜き、自社ブランドスニーカーを開発して「ナイキ」と命名。1979年発売のエアマックスがブレイクし、トップスポーツブランドの地位を確立しました。
ナイキという社名は、ギリシャ神話に登場する「勝利の女神ニケ(nike)」を英語読みして「ナイキ」。ニケの彫像の翼をモチーフとしたロゴマークは「スウッシュ」と呼ばれるようになります。「スウッシュ(Swoosh)」とは「シューッと勢いよく動かす」「ビューンと音をさせながら進む」というような意味で使われる英語です。
このロゴは、当時ポートランド州立大学でグラフィックデザインを専攻していた女子学生キャロライン・デビッドソンが制作しました。
創業者のひとりナイトが、デビットソンに対して「1時間2ドルのデザインの仕事」として発注。最終的にナイキがデビッドソンに支払った報酬は35ドル。約4000円ですが、時間計算すると17時間半。2日か3日で制作したロゴです。
ナイトはデビッドソンが提出した案のどれも気に入らず、消去法で今のロゴを選択したそうです。その理由は製品へのロゴ印刷の都合で時間制約があったためです。つまり、とりあえず何かに決めなくてはならなかったのです。
大学卒業後のデビッドソンは個人事務所を開き、引続きナイキの広告デザインを請け負ったものの、ナイキが成長して仕事量が激増。ひとりでは手に負えなくなり、デビッドソンはナイキの仕事を別の広告代理店に引渡し、ナイキのデザイン業務から撤退しました。
12年後、世界的企業に成長したナイキの幹部と創業者ナイトは、デビッドソンを食事に誘いました。目的はデビッドソンへの感謝の気持ちを伝えることでした。
その席でナイキから「スウッシュ」が刻まれたダイヤつきの金の指輪とナイキ株がデビッドソンに贈られたそうです。指輪と株の総額はおそらく凄い金額だったでしょう。
ナイキロゴ「スウッシュ」を巡る美談です。日本もこの美談のように「スウッシュ型」の挽回と成長を遂げるためには、白日の下に晒された日本の構造問題を直視することからスタートすべきです。
「スウッシュ型」実現のカギは「リスキリング(学び直し)」です。産業や技術やビジネスの変化と進化に対応するためには、労働者のスキル向上、「リスキリング」が欠かせません。
デンマークは政府が企業や労働組合と協力して職業訓練学校を運営しています。職業訓練への公的支出額のGDP比は主要国の中で突出し、失業率や所得の不平等さを示すジニ係数は著しく低い水準です。
フィンランドも成人が職業訓練に参加する比率は5割と世界トップ。デジタル先進国でもあり、生涯教育の内容も産業構造の転換に合わせて逐次更新されています。
世界は転機にあります。しかも、外部環境の激変が追い打ちをかけています。中国のGDPは2028年に米国を抜く見通しです。30年代と目されていた米中交錯時期がコロナ禍からの回復格差の影響で早まりました。2035年には中国と香港合計のGDPは日米合計を上回ります。当分の間、米中対立がクールダウンすることはないでしょう。
日本は冷徹に自己の現実と置かれた立場を凝視し、21世紀の経済と国際社会を乗り切るための改革と体制再構築に取り組むことが急務です。(了)