【Vol.435】新型コロナウィルスと武漢封鎖

本日(2月1日)、英国がEU(欧州連合)を離脱。1980年代、90年代、2000年代のEU拡大を見てきた世代にとって、想像できなかった事態だと思います。1989年のベルリンの壁崩壊、東西冷戦終結も、1950年代、60年代、70年代の冷戦構造の中で現役だった世代には、想像できなかった事態だと思います。さて、今常識だと思っていることは何か、絶対に崩壊しないと思い込んでいることは何か。今後も冷静かつ論理的に内外情勢を凝視していきます。


1.ヒトヒト感染

本日(2月1日)現在、中国政府(衛生健康委員会)は新型コロナウィルス感染者10791人、死者259人との最新情報を発表。

昨日(1月31日)、米国はWHO(世界保健機関)に準じて「公衆衛生上の緊急事態」を宣言。本日、日本は同ウィルスによる発症を、患者の強制入院や就業制限が可能となる感染症法上の「指定感染症」とする政令を施行。また、14日以内に中国湖北省滞在歴がある外国人の入国を拒否する措置も始めました。

世界的パンデミック(大流行)となった新型コロナウィルスによる感染症。とりあえず発生端緒からの経緯を整理しておきます。

昨年12月8日、武漢市で原因不明の肺炎患者が発生。この時、保健当局は何も発表せず、内部報告書を作成。

12月30日、保健当局内の内部公文書「原因不明の肺炎の治療の改善に関する緊急通知」がインターネット上に出回り、新型肺炎の存在が知られることとなりました。

12月31日、湖北省武漢市疾病予防センターが、武漢市で原因不明の肺炎が発生していること、患者が華南海鮮市場の出店者であることを認め、同日、武漢市衛生健康委員会が発症者27人、うち7人重症の事実を国家衛生健康委員会に報告。

2020年1月1日、江漢区市場監督局と衛生健康局が華南海鮮市場を閉鎖。12月30日に公表し、1月1日に市場閉鎖という迅速さから推測すると、当局は早くから事態を把握していた、あるいは華南海鮮市場が原因であることを浸透させたかったという印象を受けます。

1月初はまだ「ヒトからヒトへの感染」は確認されず、病原も未検出。1月7日、原因が新型コロナウィルスと特定され、1月9日に最初の死者が発生。1月13日には初めて中国域外、タイで発症者が確認されました。

1月15日、2人目の死亡者発生。18日1人、19日1人、20日2人、21日3人と死亡者が増え、事態は深刻化していきます。

1月20日、国家衛生健康委員会が、医療関係者にも感染者が出たこと、ヒトヒト感染の可能性が高いこと、武漢市には行かない方がよいこと、等を発表。

1月20日、隣国北朝鮮が、世界各国に先駆けて22日から中国人観光客の入国禁止を決定。中国当局から何か情報を得ていたのかもしれません。

1月21日、中国メディアが、武漢市内の病院のウィルス検出薬品と患者収容能力が既に限界に達していることを報道。中国の体質からすると、これも異例の報道です。

1月24日、WHOはベトナムでもヒトヒト感染が発生したこと、同じくコロナウィルスが病原であったSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)と同様に咳やくしゃみ等による飛沫や直接接触等で感染する危険性があることを警告。

1月24日、フィリピン航空当局は、武漢市からカリボ国際空港に到着した中国人観光客464人を強制送還。

旧正月(春節)入り(1月24日)直後の25日、中国政府は「27日から国民の海外旅行禁止」「武漢市封鎖」を決定。同日、武漢市では医師が新型肺炎により死亡。

中国政府の対応は遅きに失し、1月26日、武漢市市長が「封鎖前に既に500万人が市外に出たと推定される」と発表。

発症初期には「原因不明の肺炎」と報道されていましたが、WHOが「2019年新型コロナウィルス」と命名。中国国内では「新冠肺炎」「武漢肺炎」「武漢海鮮市場肺炎」とも呼んでいます。

症状は、発熱、全身倦怠感、乾咳、下痢、吐気、頭痛、呼吸困難、胸部圧迫感等と報道されているほか、発熱せずに死亡した人もいるようです。

新型コロナウィルスは浙江省舟山市のコウモリに宿主するSARSウィルスに近いことが判明。タケネズミ、アナグマ、ヘビ等の野生動物を介して人に感染したと見られます。

SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome)「重症急性呼吸器症候群」は2002年末から2003年夏にかけて中国南部で流行。WHOによれば、感染者8096人、死亡者37ヶ国774人(致命率9.6%)。感染者8422人、死亡者916人(致命率11%)との研究報告も出ています。なお、今回の武漢肺炎の最初に発表された感染者41人の致命率は15%です。

1月6日に発表された日本での初感染者は、武漢市に渡航歴のある神奈川県在住30歳代中国人男性。以来、本日(2月1日)現在で17人。

2.コロンブス交換

感染症は、病原微生物や病原体(細菌、ウィルス、真菌、原虫等)が人の体液等に侵入、定着、増殖し、組織を破壊して発症。伝染性のある感染症は疫病(はやり病)とも言います。

有史以前から近代まで、人の疾患の大半は感染症です。民族接触、文化交流等によって、感染症は世界に拡大してきました。

「コロンブス交換(Columbian Exchange)」は米歴史学者アルフレッド・クロスビーによって唱えられた概念。コロンブスの米大陸発見(1492年)を機に、東半球と西半球の動植物、食物、文化とともに、病原体まで混交し、「交換」が行われたことを指します。

すなわち、コレラ、インフルエンザ、マラリア、麻疹、ペスト、天然痘、結核、チフス等が欧亜大陸から米大陸にもたらされました。

新しい感染症への免疫を有しない米大陸先住民の人口は激減。17世紀初頭までにメキシコ先住民(インディオ)人口は1492年以前の3%になったそうです。もちろん、制服に伴う虐殺も影響しています。

人口減を補うため、征服者は黒人奴隷をアフリカ大陸から搬入。欧亜大陸、米大陸、アフリカ大陸を結ぶ三角貿易が成立し、世界の「コロンブス交換」は完成しました。

同様の史実を、フランスの歴史学者エマニュエル・ラデュリは「細菌による世界統一」という表現を用いて説明しています。

感染症を最初に認識したのはイスラム世界の代表的医学者イブン・スィーナー。1020年の著作「医学典範」の中に、感染症拡大防止には隔離が有効と記しています。

中世にかけてキリスト教世界でも感染症の知識が蓄積され、病原微生物を初めて目視したのは1684年、光学顕微鏡を駆使したアントニ・レーウェンフック(蘭)。

1838年に細菌を意味するラテン語「bacterium」が登場。19世紀にはパスツール(仏)、コッホ(独)、ジェンナー(英)等の細菌学者が天然痘やポリオ等のワクチンを開発。

やがて日本でも、北里柴三郎がペスト菌(1894年)、志賀潔が赤痢菌(1898年)を発見。主な細菌発見、ワクチン開発は19世紀末から20世紀初頭に集中しました。

光学顕微鏡でも視認できないウィルス(virus)発見は細菌より遅れ、1892年のイワノフスキー(露)によるタバコモザイクウィルスの発見が最初です。

有史以来の主な感染症の歴史を概観しておきます。最初に取り上げるべきはペスト。紀元前5世紀、アテネでペスト流行の記録があり、ギリシャ世界崩壊の契機となりました。

5世紀の東ローマ帝国。エジプトで発症したペストが、パレスチナ、アナトリア半島、帝都コンスタンティノープルへと広がり、人口の半分を失って帝国は機能不全に陥りました。

ペスト流行で地中海沿岸人口が急減した一方、当時のアルプス以北西欧世界は交通網が未発達な後進地域。それが幸いしてペスト流行が軽微で済み、それ以降の発展の礎になったと言われています。

14世紀、「黒死病」と呼ばれて猛威を振るったペスト。中国で大増殖していたペスト菌がモンゴル帝国によってユーラシア大陸西部から欧州に運ばれ、大災厄をもたらしました。全世界で約9000万人、欧州では全人口の3分の1に当たる約3000万人、英仏では人口の半分が死亡したと推定されています。

その後、小康状態となったものの、1855年、清朝雲南を起源とするペストの大流行。その後、コッホに師事した北里柴三郎とパスツール研究所のイェルサンがほぼ同時期にペスト菌を発見しました。

日本では、古くから疱瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・水疱瘡(水痘)が「御役三病」と呼ばれ、恐れられてきました。21世紀に入っても麻疹の集団感染が見られ、日本は麻疹の「輸出国」と見なされています。

天然痘に対しては、古代から発疹の瘡蓋(かさぶた)を用いた人痘が行われていました。1798年、自らも人痘接種を受けた経験がある英国人医師エドワード・ジェンナーが「牛痘にかかった者は人痘にもかからない」という農婦の話を聞き、種痘を開発して8歳の少年に牛痘接種。予防接種の先駆けでしたが、一種の人体実験でもありました。

1958年からWHOが天然痘根絶計画を開始。1975年のバングラデシュ、1977年のソマリアを最後に天然痘患者は報告されておらず、1980年、WHOは天然痘根絶を宣言。

天然痘は人類が根絶した唯一の感染症であり、天然痘ウィルスは現在、米国とロシアのバイオセーフティーレベル4の施設で管理されています。

水疱瘡は筆者も4年前に罹患。大人になっての罹患は重篤ということで、8日間、東京逓信病院に入院しました。

コレラによるパンデミックは過去7回。19世紀前半のコレラ流行は都市化の進んだ時期と重なり、劣悪な都市衛生環境が被害を拡大。公衆衛生学や上下水道整備等の近代的都市工学等、新たな学術分野の発展につながりました。

日本では幕末から明治期に大流行し、累計20万人超が死亡。オランダ人の「コレラ」という発音が転訛した「コロリ(虎列刺、虎狼狸)」の呼び名が広がり、激しい症状、高い死亡率から「鉄砲」「見急」「3日コロリ」とも呼ばれました。

チフスは19世紀前半のフランス、ロシアで大流行。コレラとともに、労働運動活発化の一因になったと言われています。

日本では「労咳(ろうがい)」と言われた結核。「不治の病」「死の病」「白いペスト」とも呼ばれました。

産業革命後に「世界の工場」として繁栄した英国で大流行し、最悪期1830年頃のロンドンでは5人に1人が結核で死亡。当時の労働者は1日15時間労働でスラム街に住み、低賃金による困窮、劣悪な生活衛生環境等が事態の深刻化に拍車をかけました。

明治期、日本からの英国留学生は、結核に罹患し、死亡したり、帰国する者が少なくありませんでした。やがて、日本国内でも紡績工場の「女工哀史」に象徴される英国と同様の状況が生まれ、1935年から1950年までの15年間、日本人の死亡原因のトップでした。

ほかにも感染症は、ポリオ(急性灰白髄炎)、エボラ出血熱、エイズ(AIDS、後天性免疫不全症候群)、マラリア、ウエストナイル熱、日本脳炎等々、多岐にわたります。

紀元前412年、「医学の父」と呼ばれたヒポクラテスがインフルエンザと思われる感染症の記録を残しています。1889年に流行した疾病の病原菌分離にドイツ元軍医リヒャルト・プファイファーが成功。1892年、「インフルエンザ菌」と命名しました。

スペイン風邪は鳥インフルエンザの一種。1918年、米軍兵士の間で流行し始め、人類が遭遇した最初のインフルエンザ・パンデミックです。

感染者6億人は当時の世界人口12億人の半分、死者5000万人超。この死者数は、感染症のみならず、戦争や災害等、あらゆる災厄の中で人間を短期間で大量に死亡させた最多記録。第1次大戦の戦死者数を上回り、米国では50万人、日本では当時の人口5500万人に対して39万人が死亡しました。

米国発の感染症が「スペイン風邪」と呼ばれた理由は、当時は第1次大戦中の情報統制下にあったため、感染症の重要情報が中立国スペイン経由で発信されたからです。スペイン風邪のパンデミックは第1次大戦の終結を早めたとも言われています。

20世紀中にインフルエンザ・パンデミックは3回ありました。上述のスペイン風邪のほか、1957年のアジア風邪、1968年の香港風邪です。

アジア風邪では世界で200万人が死亡。1957年冬、中国貴州で発生。当時の中国はWHO未加盟であったため、感染情報が他国に伝わったのは流行から2ヶ月経過してからでした。日本での届出感染者は99万人、死者は判明分で7735人です。香港風邪による死亡者は世界で100万人、日本で2200人超と言われています。

3.生物兵器

原因不明の感染症パンデミックとなれば、様々な憶測情報が氾濫することは想定の範囲内。案の定「中国生物兵器説」という怪情報が流れています。

1月24日、米国ワシントンタイムズ(一流紙ではありません)が、武漢肺炎の感染源が「中国科学院武漢病毒研究所での秘密研究開発に関連」と報道。証言者は元イスラエル軍情報官ダニー・ショーハム、取材記者は米中軍事情勢に詳しいビル・ガーツ。

記事は「武漢市には中国生物兵器開発に関わる2つの重要施設がある」と指摘。ひとつは「武漢国家生物安全実験室」。2015年建設開始、2017年完成の研究機関です。

もうひとつは2018年に設立された「武漢生物製品研究室」。世界トップクラス、バイオセーフティーレベル4の研究組織で、実験用に1500株以上の各種ウィルス分離株を保有。

記事によると、同実験室、同研究室とも、武漢海鮮市場から約30キロメートルの距離にあり、いずれも「中国科学院武漢病毒研究所」の傘下にあるそうです。

同研究所の北京の施設ではSARS流行当時にSARSウィルス研究にも従事。英科学誌ネイチャーは2017年、武漢での同研究所活動もウィルス漏洩事故に繋がる恐れがあることを指摘していたそうです。

中国政府は「武漢肺炎の感染源は野生動物である」としており、1月28日新華社通信も「武漢華南海鮮市場でウィルス大量検出」と報じています。しかし、タケネズミ等を食する文化は昔から続いており、なぜ今回発症したかの合理的説明にはなっていません。

中国は生物兵器の製造・保有を否定。一方、米国による世界各国の大量破壊兵器(核・化学・生物)実態調査では、中国は生物兵器保有国とみなされています。

こういう憶測や怪情報が飛び交うこと自体が人間世界の愚かさを象徴しています。メルマガ前号で紹介した「世界終末時計」が過去最短を更新したのも止むを得ないことです。

世界終末時計(Doomsday clock)とは、核戦争等による人類絶滅(終末)を午前0時に準(なぞら)え、終末までの残り時間を「あと何分」と示す時計のこと。

日本への原爆投下から2年後、冷戦時代初期の1947年に米国の科学者等が危機を感じて始めた企画です。具体的には米国「原子力科学者会報」の表紙絵として誕生しました。

1989年からは、核兵器のみならず、気候変動による環境破壊や生命科学等の脅威も考慮して残り時間が決定されています。残り時間の過去最短は2分、過去最長は17分。これまでの推移はメルマガ前号を参照してください。

1月23日に発表された今年の残り時間は予想どおり過去最短を更新して1分40秒。核戦争と地球温暖化という2つの脅威に加え、トランプ米大統領を筆頭に世界の指導者がそうした脅威に対処するための努力を行っていないと指摘しました。

20世紀以降の新型感染症も、地球温暖化や自然環境破壊に伴う病原菌と人間との関係変化が影響しているかもしれません。

感染拡大抑止、パンデミック制圧が急務ですが、経済への影響も気になります。上述のとおり、中国政府は団体旅行や海外渡航を禁止。春節前後には延べ30億人の中国人が大移動するとみられていたことから、旅行・渡航禁止の影響は小さくありません。

2019年の中国人訪日客数は959万人(インバウンド全体では3188万人)。2020年の予想インバウンド需要は約5兆円(2019年4.8兆円)であり、そのうち中国人(除く香港人)は4割の約2兆円(2019年1.7兆円)。中国のインバウンド需要減少は実質国内総生産(GDP)押し下げ要因にもなります。

武漢肺炎の影響はインバウンドにとどまらず、中国経済減速を通じた日本経済への影響も懸念されます。武漢市のある湖北省は人口5902万人で、工業生産額の約2割を自動車関連産業が占めています。

武漢市には約700人の日本人が駐在しており、進出日本企業は自動車等約160社。既に多くの駐在員や家族が帰国しており、日本企業の現地活動への影響は必至です。

波乱の幕開けとなった2020年。今年もメルマガで有意な情報をお伝えできるよう、努力します。(了)


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