【Vol.424】デモクラシー・民主主義について


1.デモクラシー

民主主義とは何か。難しい問題です。民主主義陣営の中心を自負する米国の在日大使館ホームページに「民主主義の原則」という解説があります。国務省の出版物として、アメリカンセンターのホームページでも紹介されています。

詳細は直接ご覧いただくこととして、若干ご紹介します(いずれも原文ママ)。

「民主主義は、多数決原理の諸原則と、個人および少数派の権利を組み合わせたものを基盤としている。民主主義国はすべて、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護する」。

「一見すると、多数決の原理と、個人および少数派の権利の擁護とは、矛盾するように思えるかもしれない。しかし実際には、この二つの原則は、われわれの言う民主主義政府の基盤そのものを支える一対の柱なのである」。

「民主主義社会は、寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視する。民主主義国は、全体的な合意に達するには譲歩が必要であること、また合意達成が常に可能だとは限らないことを認識している。マハトマ・ガンジーはこう述べている。『不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる。』」

なかなか奥深いです。そもそも「デモクラシー(民主主義)」の語源は古代ギリシャ語のdemos(人民)とkratia(権力)を合体したdemokratia。国家(集団)の権力者が構成員全員であり、意思決定は構成員の合意によって成り立つ政治体制を指します。

反対語はaristos(優れた人)とkratiaを合体した「アリストクラティア(aristokratia)」。優れた人による支配であり、貴族制や寡頭制を意味します。要するに、権力者が構成員全員か、一部かの違いです。

やがて、扇動的政治家の言説に大衆が影響され、ソクラテスが処刑されると、プラトンやアリストテレス等が「デモクラシー」を「衆愚政治」と批判。プラトンは「哲人政治」を主張しました。

もっとも、古代ギリシャに続く古代ローマでも王政が廃止され、元老院と市民集会が権力を有する「共和制」が支持されました。皇帝は非世襲となり、市民集会で選ばれ、「プリンケプス(市民の第一人者)」と位置づけられました。

近代になると「デモクラシー」は自由主義の重要な構成要素となります。啓蒙思想です。フランス革命や米国独立戦争を通して「デモクラシー」は近代市民社会の根本原理となり、議会制民主主義が普及。ホッブス、モンテスキュー、ロック、ルソー等の時代です。

18世紀米国ではdemocracyとrepublicがほぼ同じ概念を示す言葉として定着。日本の幕末・維新期にもdemocracyとrepublicがともに「共和制」と訳される場合がありました。

20世紀以降、「デモクラシー」は全体主義の反対概念として定着。しかし、その一方で、明らかに独裁・専制下の国でも「民主主義国家」を自称している場合もあります。

そこで、米国政治学の権威ロバート・ダール(1915年生、2014年没)は、「民主主義」の質をチェックする7つの基本的条件を示しました。

第1に行政官吏の公選制、第2に自由で公正な選挙、第3に普通選挙、第4に行政職の公開性、第5に表現の自由、第6に代替的情報(反対意見)へのアクセス権、第7に市民社会組織の自治。

さて、まもなく参議院選挙が始まります。自由で公正な選挙が行われなければなりません。ダールの指摘するように、それが民主主義の条件だからです。

自由で公正な選挙が行われるためには、政治や行政の実情、あるいは社会保障や経済等、政策制度の実情について、有権者が十分な情報を得ていることが前提です。

しかし、ここ数年の日本では、その情報が歪められていることはご承知のとおり。民主主義の危機です。

公文書の隠蔽、改竄、捏造、廃棄、国民に伝える情報の操作・加工・偏向。とても民主主義国家とは思えません。

それを見て見ぬふりをする、時には加担する官僚組織や官僚個人には、驚くばかりです。官僚組織が政権を過度に忖度し、慮る最近の日本の状況には、大いに懸念を抱かざるを得ません。今回の選挙、そのことも率直に訴えていきます。

2.無責任の体系

日本の最近の状況を考えると、戦前戦後の日本の政治思想家、丸山眞男(1914年生、96年没)のことが脳裏を過ります。以前にもお伝えしましたが、日本の民主主義が危機に直面していると感じる今、改めてお伝えしておきます。

丸山眞男は「現代政治の思想と行動」(1956年)ほか数々の啓著を残し、日本社会の特徴に関係する重要な概念を提起しました。

第1は「無責任の体系」。日本は明治維新後の近代国家としての歩みの末に太平洋戦争の災禍に至りました。その過程では、国内外で思想・言論を弾圧しました。

もっとも、敗戦後の東京裁判等における戦争責任追及の中で、政府・軍関係者に自分が戦争に加担したという自覚は見い出せず、丸山眞男はその深層心理を分析しました。

彼らの深層心理には、戦前の政府の統治姿勢が強く影響していました。欧州近代国家は個人の内面的価値に立ち入らなかったのに対し、戦前日本は個人に対して国家の価値観を強要しました。

国家が個人の内面的価値を支配。その後の言論統制、思想統制という国家の禁断行為を導きました。

個人の行動が国家によって規定されるという構造は、国家の価値観が個人の価値観となることを意味します。その結果「国のために死ぬのは栄誉」とか「非国民」という概念を生み出しました。

国家には絶対的正当性が付与され、国家は間違いを犯さないという虚構を構築し、国家に対して異議を唱えることは大罪となりました。官僚機構の「無謬」概念も生み出しました。

個人は自分の価値観や倫理観に従うことができず、自分の行動を正当化する根拠を国家の意思に求めました。その結果、上級者による指示命令、上級者の考えを忖度(そんたく)することが個人の行動を決定づけました。

「上級者が言ったことだからいい」「上級者の命令だから仕方ない」という論理を形成し、人間としての個人の責任を棚上げ。自分を納得させる言い訳を構築しました。

こうした社会では、為政者が専横的権力を奮わなくても悲劇が起きます。個人は全て上級者の指示命令に従い、仕方なく弾圧や戦争が行われます。誰かが独裁的権力を行使したとか、どこかの組織が暴走したという責任意識は生まれません。

その結果、権力を握っていた政府・軍関係者も自分達が戦争の災禍を招いたという自覚症状がなく、責任意識が形成されなかったと結論づけ、丸山眞男はこれを「無責任の体系」と呼びました。

第2は「抑圧移譲の原理」。個人の価値観に従うことなく、常に上級者の顔色を窺い、自分の行動が上級者から正当化されることを期待します。正当化されれば、自分の行動も自分の責任ではありません。

こうした社会や組織では、誰もが常に上級者からの圧迫を感じ、下級者を圧迫することでそのストレスを発散させようとします。上級者からの圧迫は下へ下へと向かい、最下級者に圧迫が集中し、行動が強要されます。

法律や規則、指示や命令の遵守を強要されるのはもっぱら下級者であり、上級者に対してルーズな社会や組織が形成され、強者に優しく、弱者に厳しい体質が生まれます。

丸山眞男曰く「自らの良心に従って行動するのではなく、あくまでもより上級者の存在によって行動が規定されているから、独裁ではなく、抑圧の移譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が生まれる。つまり、上からの圧力を下の者へ威張り散らすことで解消しようという衝動である。」

第1の「無責任の体系」、第2の「抑圧移譲の原理」は、現象面での異常さを表します。一方、戦争責任追及の過程で、政府・軍関係者が自己正当化のために駆使した論理が第3の「既成事実への屈服」です。

「既に決まっていたことだから仕方ない」「既に始まっていたことだから仕方ない」「個人的には反対だったが、成行き上従うしかなかった」という理屈です。

東京裁判では多くの被告がそのように弁明したそうです。「自分の行動は自分に責任はなかった」「過去の決定や既成事実に従っただけ」という主張です。自分の行動の是非の問題ではなく、既成事実が自己正当化の根拠となる魔法。これが「既成事実への屈服」です。

第4も自己正当化の論理、「権限への逃避」です。「法規上の権限はなかった」「法規上は反対することは困難だった」。やはり多くの被告がそう弁明したそうです。職務権限に従うだけの「官僚」になり切り、自分の行動の責任回避を図りました。

都合のよい時には自分の言うことが法規だと言わんばかりに権力をふるう官僚が、都合が悪くなると自分に裁量権はなかったと言い張る厚顔です。

今日でもそうしたタイプの官僚が見受けられます。権力を行使して森友学園や加計学園に便宜供与した一方、国会で追及されると「権限はなかった」「法規に従っただけ」とシラを切る姿はまさしく「権限への逃避」。

1996年に82歳で他界した丸山眞男は戦後民主主義を代表する政治思想家でした。学生時代も関心を抱いていましたが、今また、丸山翁から何かを示唆されているような気がします。

3.空気の論理とデストピア

政権や上級者の言うことを過度に忖度し、権力や長いものに巻かれる最近の日本社会。すなわち「空気」に流される迎合的な体質。この局面で、山本七平(1921生、91年没)が指摘した「空気の論理」も再認識しておく必要があります。

山本七平は著書「空気の研究」(1977年)の中で、日本社会の「空気的判断」に警鐘を鳴らしました。曰く「日本には『抗空気罪』という罪があり、これに反すると最も軽くて『村八分』刑に処せられる」 。

「空気」は匂いも姿もありません。知らない間に「空気」が変わっていた、ある日気づいたらずいぶん以前と様子が違う、というのが怖い展開です。

2013年、日本の重要閣僚が次のような発言をしました。閣僚が誰かはご記憶にあると思いますが、その発言を改めて紹介します(発言ママ)。

曰く「ナチス政権下のドイツでは、憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね」 。

なるほど数年前、小中学生の教科書検定基準がある日気づいたら変わっていました。暗澹たる気持ちになりましたが、その時脳裏を過ったのは「デストピア」という言葉です。

デストピア(またはディストピア)はユートピア(理想郷)の反対語です。デストピアの語源は「悪い」を意味する古代ギリシャ語。つまり、デストピアは「暗黒郷」。19世紀の英国思想家、ジョン・スチュアート・ミルが1868年のスピーチで最初に使いました。

その後、英国作家ジョージ・ウェルズが1895年に出版した小説「タイムマシン」にデストピアが登場。やがて、デストピアを扱う小説や作品が続き、デストピア文学というジャンルが誕生。

デストピア文学は、1920年代以降、ソ連の誕生やファシズムの台頭など、全体主義への懸念が広がった時期に普及しました。

小説に登場するデストピアの多くは、徹底的な管理統制社会として描かれています。その描写は作品ごとに異なりますが、傾向としては以下のような特徴を有しています。

体制側のプロパガンダによって、表向きは理想社会を喧伝。その一方、国民を洗脳し、反体制的国民は治安組織が粛正。表現の自由は否定され、体制側が有害と見なす出版物や言論は禁止されます。

表向きの理想社会と裏腹に、体制側に「社会の担い手と認められた国民」と「そうでない国民」に分断され、政治的・経済的に深刻な格差が生まれます。

短編小説(ショートショート)の大家、日本の星新一(1926年生、97年没)の作品にもデストピアが度々描かれていました。高校時代、星新一の大ファンだったため、その当時からデストピアという概念、言葉が気になっていました。

デストピア文学の名作と言えば、ジョージ・オーウェルの「1984年」。オーウェルは1903年生まれの英国のジャーナリスト、作家。1950年に亡くなる前年、デストピアを描いた「1984年」を出版。同書の大まかな内容は次のとおりです。

作品の舞台「オセアニア国」では、あらゆる国民生活が管理統制されています。「テレスクリーン」と呼ばれる双方向TVシステムによって、国民の全ての行動を体制側が監視。官僚である主人公が国家体制に疑問を持ち、やがて逮捕・拷問されて転向していくというのが基本的ストーリーです。

オセアニア国の権力者は「ビッグ・ブラザー」。街には肖像があふれています。ビッグ・ブラザーが党首を務める絶対政党の3つのスローガン、「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」も街の至る所に掲げられています。

「戦争は平和である」と聞くと、2013年から2015年にかけて行われた日本の安全保障論争の中で登場した「積極的平和主義」という言葉を連想するのは私だけでしょうか。

英語の「Big Brother」が「独裁者」の隠語になったのは、この作品が契機です。このほかにも、ダブルシンク(同時に矛盾した考えを信じること)やニュースピーク(イデオロギー的な詭弁)等々、「1984年」に登場するオーウェルによる造語は政治に関する一般的語彙として定着しました。

「1984年」は70以上の言語に翻訳され、「オーウェリアン」(オーウェル的世界)という言葉も生まれました。

時は2019年。日本の第25回参議院選挙。日本の民主主義の現状を鑑み、丸山眞男の「無責任の体系」や山本七平の「空気の論理」に思いを致し、「正直な政治」「偏らない政治」「現実的な政治」を訴えていきたいと思います。(了)


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