【Vol.414】日露平和条約の「回避すべき展開」

来週から通常国会が始まります。統計不正問題、米中貿易戦争、消費税増税等、諸問題山積の中、安倍首相は日露平和条約締結、北方領土返還を目指した動きを活発化。私も2016年に北方領土に渡航しました。諸情勢を勘案すると、返還が実現する可能性は低く、この時期に傾注する意図は別のところにありそうです。国際情勢が激変する中、誤った外交交渉にならないよう、この問題も国会で議論していきます。


1.相互に受け入れ可能な解決策

「太平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず」。幕末、ペリー提督率いる黒船来航の際に流行った狂歌です。銘茶の「上喜撰」を「蒸気船」に、「四杯」の「杯」は船を数える単位にかけ、ペリー艦隊の4艙の蒸気船を指しています。

私の認識では、日本が国際情勢の激変に直面するのは史上6度目。第1は、古代日本が律令国家として確立する契機となった中国大陸(隋・唐)と朝鮮半島(高句麗・百済・新羅)の激変期。

663年、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた倭国。百済から大量の亡命者を受け入れ、朝鮮半島から撤退。唐への朝貢を止め、日本という国の原形を形成していった時期です。

第2は元寇(蒙古襲来)。元・高麗連合軍が日本に侵攻してきた文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)。中国では元日戦争、韓国では日本征伐と表現されます。

第3は豊臣秀吉の朝鮮出兵。明・李氏朝鮮連合軍と戦った文禄の役(1592年)、慶長の役(1598年)。中国では朝鮮戦争、韓国では倭乱とも言われます。

第4は、幕末から明治維新(1868年)。欧米列強諸国の圧力に直面した日本は、国際社会と対峙し、アジアで唯一の近代国家として列強の仲間入りを果たします。

第5は、敗戦(1945年)と東西冷戦開始(1949年)。西側の一員に組み込まれ、米国の同盟国、アジアで唯一の先進国及び西側の特別な友好国としての地位が保障されました。

現在は6度目。東西冷戦終結(1990年)後の米国覇権が中国の台頭やロシアの復権で脆弱化。欧州も混迷。日本の立ち位置が問われています。

22日、安倍首相はモスクワでプーチン大統領と会談。日ソ共同宣言(1956年)を基礎に平和条約交渉を加速することで合意した昨年11月の会談から3ヶ月連続で25回目。

両氏は北方領土問題について、「相互に受け入れ可能な解決策」を見い出すために共同作業を進めることを確認。

いかなる外交交渉も「相互に受け入れ可能な解決策」でなければ成立しません。そういう意味では教科書どおりのステップ。しかし、解決策を見い出せるでしょうか。

外交の鉄則は「立場が変われば見方も変わる」。北方領土も同様です。日本には日本の見方、ロシアにはロシアの見方があります。

ロシアは「第2次大戦の結果、クリル諸島(北方領土)は合法的に獲得した」との認識。「日本固有の領土」とする日本と相入れません。経緯は以下のとおりです。

江戸時代には日露両国が北方領土に足跡を残しています。1855年の日露通好条約以降、千島列島と樺太は日本とロシアの国境地帯。樺太千島交換条約(1875年)、ポーツマス条約(1905年)、サンフランシスコ講和条約(1951年)の中で、その帰属は変遷を重ねました。

第2次大戦終盤、米英ソのヤルタ会談(1945年2月)で千島・南樺太のソ連帰属を密約。ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、1945年8月9日に対日参戦。日本の無条件降伏(8月15日)後の8月18日、千島列島侵攻を開始。9月5日までに北方領土占領。

日本がポツダム宣言を受諾して降伏文書に調印した9月2日までは日ソ間は戦争状態であり、それ以前の占領行為は合法というのがソ連の立場です。

サンフランシスコ講和条約で日本は千島列島と樺太を放棄。日本は、同条約の千島列島の範囲に北方4島(択捉・国後・色丹・歯舞)は含まれていないという立場ですが、ソ連は含まれていると主張。そもそもソ連はサンフランシスコ講和条約に参加していません。

以後「北方4島はソ連の領土であり、日ソ間に領土問題は存在しない」というのがソ連の立場。

1956年の日ソ共同宣言で国交回復。「平和条約締結後、歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す」と明記。ソ連崩壊に伴って誕生したロシアのエリツィン大統領と細川首相の間で交わされた東京宣言(1993年)によって、領土問題の存在を認知。

2001年、森首相とプーチン大統領によるイルクーツク声明で東京宣言を再確認したものの、その後は進展がありません。小泉首相以降は、ロシアは領土問題の存在を否定、日本はロシアの不法占拠、4島返還を主張する降着状態に逆戻り。

1983年発効の「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」第11条によって、日本国民は北方4島に本籍を置くことが可能となり、その手続きは根室市役所が行っています。海上保安庁の「日本の領海等概念図」には北方4島が含まれています。

しかし、現実はロシアが実効支配。ロシアの行政区分ではサハリン州に帰属。人口は約1万7000人、ソ連侵攻時の日本人人口とほぼ同規模。歯舞にはロシア国境警備隊のみが駐屯しています。

2.国後水道(エカチェリーナ海峡)

2010年頃から、ロシアは「領土問題は存在しない」という立場に明確にシフト。同年11月、ラブロフ外相は2島返還論の根拠となっている日ソ共同宣言を疑問視する見解を表明しました。

同年7月、ロシア軍が択捉島で大規模軍事演習を行い、11月、メドベージェフ大統領が国家元首として初めて国後島訪問。2011年9月、安全保障会議幹部(パトルシェフ書記)が国後島と歯舞群島の水晶島を訪問。

2012年1月、ラブロフ外相が「4島は第二次大戦の結果、法的根拠に基づきロシア領となった現実を認めるよう日本に要求する」と明言。以後、このスタンスを堅持。

2014年、択捉島ヤースヌイ空港が開港。サハリン(ユジノサハリンスク)との間で定期便就航。空軍は旧日本軍が建設した空港を使用しています。

2016年11月、日露首脳会談に先立ち、択捉島と国後島に地対艦ミサイルを配備したことを公表。12月、安倍・プーチン会談が行われ(山口県長門市)、北方領土での共同経済活動に向けた協議開始に合意。

2017年2月、メドベージェフ首相が歯舞・色丹の5つの島に、第2次大戦時のソ連の軍人、高官等の名前を命名。同月、5000人規模の新師団をクリル諸島に配備する計画を発表。同年、色丹に経済特区を設置。2018年1月、メドベージェフ首相は、択捉島ヤースヌイ空港の軍民共用化を許可。

このように、4島実効支配を徐々に強めているのは、ロシアにとって4島が重要な意味を持つからです。

第1は軍事的意味。オホーツク海には弾道ミサイル搭載型潜水艦が配備されており、オホーツク海はロシア核抑止力の戦略拠点です。

クリル諸島海域は凍結しない海峡としてオホーツク海と太平洋の重要な出入口。ロシア海軍艦艇が冬季に安全に太平洋に進出するための極めて重要なルートです。

宗谷海峡(ラペルーズ海峡)、根室海峡(クナシルスキー海峡)を含め、ロシアは旧ソ連時代にオホーツク海への出入口全てを支配下に置き、米海軍を締め出し。

国後・択捉両島を返還すると、国後・択捉間の国後水道(エカチェリーナ海峡)の支配権を失い、オホーツク海に米海軍が侵入します。4島が米同盟国である日本の統治下に入ることは安全保障上の大きな問題と認識しています。

第2は経済的意味。北方領土には、石油換算で推定約4億トンの石油や天然ガスが埋蔵されています。世界の年間産出量の半分近い生産が見込まれるレニウム等、北方領土周辺の資源価値は少なくとも推定約3兆ドル。

豊富な地下資源のほか、水産資源においても世界3大漁場のひとつ。これらの経済的資源の存在も、北方領土を日本に返還できない理由です。

以前の日本側には「ロシアは経済的に困窮しており、やがて日本の経済協力と引き換えに北方領土を引き渡す」との見方があり、外務省の基本戦略は対ロシア、対北方領土への援助を打ち切って困窮させることを企図する「北風政策」でした。

しかし、ロシアの経済発展に伴って「北風政策」は頓挫。プーチン大統領就任以降、経済発展を遂げたロシアは「クリル開発計画」を策定し、4島にインフラ等を整備中。

自然環境も豊かです。カニやウニ等の魚介類を始め、ラッコやシマフクロウ等、北海道を含む周辺地域で絶滅または絶滅危惧の生物が多数生息する自然の宝庫。ロシアは北方領土を含む千島一帯をクリリスキー自然保護区に指定し、禁猟区・禁漁区を設定。日本以上の環境保護政策が行われています。

日本の環境保護政策は水産・開発事業者等に甘く、領土返還によってクリル諸島の生態系が破壊されることを危惧する日本にとって不名誉な国際世論もあります。

筆者も参加した北方領土交流事業(ビザなし渡航)以外で日本人が4島を訪問するには、ロシア査証を取得、稚内港または新千歳空港、函館空港からサハリンに渡り、ユジノサハリンスクで入境許可証を得て、空路または海路でアクセスすることになります。

この渡航方法はロシアの行政権に服する行為。ロシアの北方領土領有を認めることになるとして、日本政府は1989年以降、渡航自粛を要請。しかし法的強制力がないため、多くの日本人ビジネスマンや技術者がこの方法で4島に渡航。日本政府は渡航者への特別な対応や懲罰は行っていません。

3.回避すべき展開

外交交渉において「交渉当時国のいずれかにとってボロ勝ち、ボロ負け」というワンサイドゲームはあり得ません。

表面上はドロー(引き分け)。しかし、それぞれの当事国が内心「実利は得た」と思う我田引水の結論と国内世論を導くのが外交手腕です。

安倍・プーチン会談では、4島共同経済活動や人的交流の促進、元島民による3度目の航空機による墓参実施等で一致。安倍首相は6月G20(大阪)時の会談で大筋合意するシナリオと報道されていますが、事実であるとすれば「回避すべき展開」に陥りつつあります。

安倍・プーチン会談に先立つ14日、河野・ラブロフ外相会談で先手を打たれました。ラブロフ外相は「まず日本が4島は第2次大戦の結果としてロシアが正当に獲得した領土であるという歴史認識を認めよ」「北方領土という用語を使用するな」等の強い要求を提示。

しかも、歴史認識に関する日本の考えを、プーチン大統領訪日の6月までに表明するように求めました。

日本は北方領土を「固有の領土」として返還を求めており、ロシアの要求を受け入れることは不可能。両国の主張は同時には成り立たない「二律背反」です。

ロシアが想定しているのは「領土返還なき平和条約」。日本が想定しているのは「領土返還つきの平和条約」。プーチン大統領は歯舞・色丹2島の返還も考えていないでしょう。

安倍首相は「首脳同士の信頼関係があれば、歯舞・色丹2島返還は確実。あとは、国後・択捉2島で何らかのプラスアルファを得る」との楽観的認識を流布していますが、本当にそう思っているとすれば驚きです。

外相会談終了後、ロシア政府は対外説明を行った一方、日本政府は説明を拒否。「日本側の考えを先方に伝えた」とのコメントのみ。

通常行われる外相会談後の共同記者会見も日本側の意向で取り止め。日本政府はロシア側の強い態度に打ち手を失っている状況のようです。

驚いたことに安倍首相は外相会談について「順調な滑り出し」と発言。詳細は話せないにしても、状況の深刻度を国民に正直に伝えるべきです。不正直な姿勢は、嘘を本当にするために不利益な譲歩や展開を甘受する危険性につながります。

両国が「二律背反」の状況にある中、交渉打ち切りを回避するために「今後も前向きに交渉していくことを確認」という程度の合意が予想可能です。ロシア側も「日ソ共同宣言を基礎として平和条約締結を目指す」こと自体は合意しているので、許容範囲内。

こうした状況下、安倍首相が平和条約に固執するならば、できることは「領土問題を曖昧にしたまま締結する」という選択肢しかありません。4島がロシア領だと認めないものの、日本領だとも主張しないという展開です。

安倍首相は「領土問題に触れない平和条約」を国民に「領土問題は一時棚上げ」と説明する一方、プーチン大統領は内外に向けて「領土問題は存在しないことを日本が追認した」と喧伝するでしょう。

このようなリスクを負って締結する平和条約は日本にとってどのようなプラスがあるのでしょうか。安倍首相は「条約締結により2島返還交渉が可能になった」と自画自賛するでしょうが、ロシア側が実際に2島を返還することはないでしょう。プーチン大統領はその布石を既に打っています。

たしかに、日ソ共同宣言は「平和条約締結後、歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す」と明記しています。しかし、過去のプーチン発言等を調べたところ、日ソ共同宣言はあくまで「基礎とする」だけのことであり、「そのとおりに実行する」とは一度も言及していません。

むしろ「主権については書かれていない」「引き渡し期限が書かれていない」「どういった条件で引き渡すか書かれていない」等の発言を繰り返し、2島返還条項の死文化を企図。

さらに今回の外相会談後の記者会見で、ラブロフ外相が共同宣言当時(1956年)と日米安保条約改定(1960年)後の「状況の根本的変化」に言及。つまり、現在は1956年当時と状況が異なり、日ソ共同宣言の内容どおりには進められないことを強調。

日ソ共同宣言を基礎とする合意がある以上、明確に返還条項無効を主張することはないと思いますが、条件が整っていないことを理由に返還は延々と先延ばしされるでしょう。

これに対し日本は「北方領土の非軍事化」を訴え、在日米軍や自衛隊の基地が設置されることはないと説明するでしょうが、逆にロシアは、日本が絶対に認められないような内容の「明文化」を要求することが予測できます。

北方領土問題は形骸化していく可能性が高く、「回避すべき展開」に持ち込まれつつあります。それでもなお安倍首相は平和条約に固執し、締結するかもしれません。

それはロシア側に大きな利益をもたらすと同時に、日本側にもある程度は利益になるかもしれません。しかし、トータルで日本にとってプラスでしょうか、マイナスでしょうか。

「領土問題に触れない平和条約」締結によって事実上北方領土に対する主権を放棄し、2島すら返還されない展開を甘受した場合の歴史的失敗に思いを致すべきです。

安倍首相はそれを外交上の失敗と認めず、延々と「2島引き渡し交渉は継続中」「両国首脳の信頼関係があれば、平和条約締結後にいずれ2島は返還され、うまくいけばさらにプラスアルファを得られる」との根拠のない楽観論を国民に流布し続け、日本側の若干の利益を針小棒大に国内的にアピールしていくことでしょう。

平和条約とは戦争状態を終結させるための条約です。講和条約、和約とも言います。但し、平和条約締結が困難である場合には、別の方法や条約等で戦争終結が事実上表明されることもあります。日ソ共同宣言はその典型例。

日ソ共同宣言があるにもかかわらず、「領土問題に触れない平和条約」を締結することで主権を失うリスクは回避すべきでしょう。

最古の平和条約は古代エジプトとヒッタイト間で「カデシュの戦い(BC1285年頃)」終結に伴うもの。両言語(エジプト文字ヒエログリフとヒッタイト楔形文字)のバージョンが作られ、両者とも現存。ヒエログリフでは「ヒッタイトが請うて講和に至った」と書かれ、楔形文字では「エジプトが請うて講和に至った」と記されているそうです。

最も著名な平和条約は、第1次大戦終結に伴うヴェルサイユ条約(1919年)。しかし、この条約は敗戦国ドイツに巨額の賠償金を課したため、ナチス台頭と第2次大戦を誘発。悪名高き平和条約と言われています。

欧州30年戦争終結に伴うウェストファリア条約(1648年)も重要です。近代外交、近代国際法のルーツとなり、同条約を契機に国民国家システムが確立。その後の戦争は宗教戦争から国家間戦争に転化し、欧州再編につながりました。

隣国との外交は難しいものです。しかし、それでも隣国として関係し続けなくてはならないのが隣国の宿命。孫子の兵法に曰く「諸侯の謀(はかりごと)を知らざれば、予め交わるを能(あた)わず」(九地篇八)。すなわち、相手の状況や考え方をどう推察するかということがポイントです。

相手の考え方を誤認したり、国民に状況を正直に説明しないまま、不適切な条約を締結すると、結果的に新たな対立や紛争の種となることは歴史が教えています。(了)


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