9月4日をもって代表を退任し、新たな気持ちで仕事に取り組みます。在任中のご支援、ご協力に感謝します。この間、メルマガを月1回に減らしていたところ、多くの読者の皆さんから「以前のように月2回は読みたい」との有り難いご要望をいただきました。書く方は結構大変ですが(笑)、9月から月2回に戻して頑張ります。ご愛読のほど、よろしくお願い致します。少しでもお役に立てば幸いです。
1.黄金権限
貿易戦争が激化し、世界の経済構造と主要国間の力学が激変。米中関係に関心が集まる中、この夏は独中間の動きも特筆に値します。
ドイツは中国資本による国内企業の買収阻止に動きました。買収を阻止したのは工作機械メーカー「ライフェルト・メタル・スピニング」。中国企業(煙台台海集団)が買収の意向を示していました。
同社は従業員200人規模ながら、自動車・宇宙・原子力関連に使用される高硬度金属及び部品製造技術で知られる重要企業。
ドイツは安全保障上の懸念があるとして、8月1日、買収を認めないことを閣議決定。昨年強化した外資規制による初の「拒否権(黄金権限、golden powers)」行使も予想されましたが、中国側が買収計画を自主撤回。事態は収束しました。
それに先立つ7月27日、ドイツは送電企業「50ヘルツ」の株式20%の取得を発表。中国の送電企業「国家電網(SGCC)」による同社買収計画への対抗措置でした。
「50ヘルツ」はドイツの4つの送電企業のひとつ。国土の25%、1800万人に電力を供給。一方、中国「国家電網」は国土の88%、11億人に電力供給。南欧、東南アジア、中南米等で海外事業も展開しています。
「50ヘルツ」は再生可能エネルギー普及を目指すドイツにとって、極めて重要な企業。中国は同社の技術獲得を狙っていました。
中国資本による企業買収阻止の動きは昨年から始まっています。昨年強化された外資規制では「黄金権限」導入と対象業種拡大が行われました。
経緯を振り返ります。ドイツの外資規制はEU共通政策に準じ、「経済取引は自由」が基本。しかし、中国がWTO(世界貿易機構)に加盟した2001年以降、徐々に規制強化。中国だけでなく、ロシア、産油国等の政府系ファンドを念頭に置いた動きです。当初は軍需関連企業の直接的買収が規制対象でしたが、対象産業や企業を徐々に拡大してきました。
その結果、外国企業が軍事・安保関連等のドイツ企業株式を25%以上取得する場合、政府への事前許可申請を義務付け。
その一方、2005年に就任したメルケル首相の下、表向きは独中の政府間・企業間提携関係が進展。後述の「中国製造2025」もドイツの「インダストリー4.0」を参考にしているほか、2016年には「独中スマート製造合作試点」というプロジェクトを開始。ファーウェイやシーメンス等の両国主要企業の協力関係構築に取り組んできました。
ところがその2016年、中国家電「美的集団」による独産業用ロボット大手「クーカ」買収を契機に技術流出の懸念等が問題視されるようになり、同年、ドイツは「中国福建投資基金」による独半導体製造装置大手「アイクストロン」の買収承認を取り消しました。
こうした中、EUは2017年6月、中国からの投資の事前審査を検討することで合意。さらに8月、独仏伊三国は中国による投資阻止の権限をEUに付与することを要請。
その間の7月、ドイツは外国企業による国内企業買収を規制する案を閣議決定。非居住者の出資比率が25%超になる場合は政府が介入できるように外資規制を強化しました。
外資による買収を審査・却下できる対象を、防衛関連等からIT・通信・電力・水道等、インフラ及び戦略上の重要分野に拡大。買収を阻止できる「黄金権限」を付与しました。
今後さらに、介入可能な出資比率基準も、現在の25%からの引き下げが検討されるようです。8月7日の報道では15%が有力なようですが、大手新聞等は社説として10%まで引き下げることを主張しています。
ドイツやEUの動きが独自のものか、米国の圧力によるものかはわかりません。しかし、訪中回数が異様に多かったメルケル首相や、中国シフトが顕著であったEU(とくに西欧諸国)の対応に変化が生じ始めていることは読み取れます。
2.細胞と政策買収
ドイツを筆頭としたEUのこうした動きの背景で、中国も手を打っています。現在、中国の2つの政策がEUの懸念材料となっています。
ひとつは、中国に進出している外資系企業に対する中国政府の統制強化。具体的には、昨年10月の共産党大会で習近平主席が打ち出しました。
中国会社法では、もともと共産党員が社内に「細胞(党の末端組織)」を設立することが認められており、外資合弁企業や外資系企業も例外ではありません。
共産党員の党活動のための部屋等の提供、党活動に参加する党員の勤務免除等が行われていますが、ある意味、企業の許容範囲の対応です。
しかし、今回の統制強化により、共産党が「細胞」を介して事業内容や拠点選択、生産計画等に容喙するのではないかとの懸念が拡大。実際、党大会後に企業の意思決定への影響力強化の動きが顕現化しています。
例えば、黒竜江省政府は取締役会の議事日程を「細胞」が事前に検閲・承認することを盛り込んだ法案を策定。また、同省で合弁企業を経営する欧州航空機大手エアバスは、工場への「細胞」設立を求める省政府の要請を受け入れました。
こうした動きに対し、昨年11月、在中国ドイツ商工会議所(AHK)は懸念を表明。AHKは「企業の自由な意思決定は技術革新と成長の基盤。中国共産党の影響力行使がさらに強まるようであれば、ドイツ企業の中国からの撤退、あるいは投資決定の見直しを排除できない」と中国共産党を名指しで批判する異例の声明を公表しました。
ドイツ企業は中国に約5000社進出し、約110万人の雇用を創出。ドイツ企業の撤退は中国にとって痛手ですが、ドイツ企業にとっても中国市場を失うことは痛手。
例えば独自動車メーカーの世界販売台数に占める中国の割合は、BMW24.1%、メルセデス25.8%、アウディ30.3%。中国での生産を全面的に停止することは不可能であり、この点は他の分野にも当てはまります。
今後も、ドイツ国内で「黄金権限」等を行使すれば、中国国内でも「細胞」強化を求められるでしょう。中国市場を狙うドイツを筆頭とした日米欧企業は足下を見られています。
もうひとつは東欧地域に対する中国の影響力拡大です。EUの亀裂を深め、結束力を弱める恐れがあります。
ハンガリーの首都ブダペストで昨年11月に開催された東欧16カ国と中国の首脳会議「16プラス1」で、李克強首相が東欧のインフラ整備に約30億ドル投入する意向を表明。
目玉はブダペストとセルビアのベオグラードを結ぶ総延長370kmの鉄道敷設事業。「中国遠洋運輸集団」が昨年買収したギリシャのピレウス港と接続され、中国製品の欧州向け輸出に寄与するでしょう。「一帯一路」構想の一環です。
今年7月にも開催された「16プラス1」。李克強首相は中・東欧地域との関係強化を強調。併催されたイベントには中国、中・東欧地域の企業家1000人以上が参加しました。
中国資本によって東欧の経済開発が進むことには、EUの西欧諸国に警戒感があります。東欧諸国への中国の影響力が強まり、EUが中国に対して厳しい政策を打ち出しにくくなる恐れがあるためです。
欧州議会通商委員会は、中国が巨額投資を駆使してEUの政策に対する「影響力を買い取ること(政策買収)」に懸念を表明。外交・安全保障問題のシンクタンクである欧州外交評議会(ECFR)は、ギリシャとハンガリーは中国から投資を受けた後、対中国批判を控えるようになったと指摘しています。
東欧諸国は共産圏崩壊後、EUの助成金等を当てにして経済開発を推進。しかし、EUは人権や法の支配など民主主義の原則順守を加盟国に要求。これに抵触するハンガリーやポーランドに対し、助成金削減等の制裁を加えています。
こうした軋轢がある中で、東欧諸国にとって中国の経済支援は渡りに船。中国の東欧諸国に対する影響力を弱めることは、容易ではないでしょう。
3.中国製造2025
中国市場への進出を企図した日米欧の政府と企業。結果的に中国の経済成長と企業発展に寄与。国内経済のバブル的傾向とも相俟って、資金力をつけた中国が日米欧に対して攻勢(産業支配と政策買収)をかけるという皮肉な展開になっています。
産業支配と政策買収は覇権国家、覇権主義の本質。20世紀の米国も同じ。日本もバブル全盛期に一時的にそのような傾向を諸外国から指摘され、当時の各界指導層は幻想に陶酔。その後の舵取りを間違えたと言えるでしょう。
中国の覇権主義に対して警戒感が高まっている背景には、2015年5月に中国政府が発表した国家戦略「中国製造2025(Made in China 2025)」も影響しています。
中国政府は建国100周年の2049年までの国家運営目標を3段階に整理。「中国製造2025」はその第1段階である今後10年間のロードマップです。
第1段階は2025年までに世界の「製造強国」入りを果たすこと。これが「中国製造2025」に相当します。第2段階は2035年までに中国製造業を「製造強国」の中位に到達させること。第3段階は建国100周年を控えた2045年に「製造強国」のトップになること。
ドイツの「インダストリー4.0」を参考にしていると言われ、「5つの基本方針」「4つの基本原則」「5大プロジェクト」「10大重点発展分野」を明示しています。
「5つの基本方針」は「イノベーション駆動」「品質優先」「環境保全型発展」「構造最適化」「人材本位」。
「4つの基本原則」は次のとおり。下記のカギ括弧「」内表記は、中国語の原典にできる限り忠実に表現します。
第1に「市場主導と政府誘導の両立」。民間企業や市場経済のダイナミズムを活用することを基本としつつ、政府が補助金政策等で誘導することを企図。
第2は「10の重点分野(後述)の飛躍的発展と伝統産業の改善及び高付加価値化の同時進行」。重点分野を定め、その裾野を支える既存企業群の高付加価値化を標榜。これは、次の第3原則につながります。
第3は「製造企業の共生、共栄、共同発展」。中小企業の情報化と高付加価値化を進め、「中国製造2025」の主力となる大企業、先端企業との共存を図ります。
第4は「企業家精神とものづくり精神の結び付き」。イノベーションとリスクテイクを企業家精神の核心と定義し、より良い物を作ろうとする意欲の重要性を指摘しています。
いずれも日本にそのまま適用できそうな原則ですが、そのうえで「5大プロジェクト」として「国家製造業イノベーションセンターの建設」「スマート製造(IoT、AI等を積極活用)」「工業基礎能力の強化」「グリーン製造(資源節約・環境保護に留意)」「ハイエンド設備のイノベーション」を列挙。
そして、より具体的に「10大重点発展分野」を明示。すなわち「次世代情報通信技術」「高度デジタル制御の工作機械とロボット」「航空・宇宙」「海洋エンジニアリングとハイテク船舶」「先進的交通インフラ」「省エネ・新エネルギー自動車」「電力設備」「新素材」「バイオ医薬・高性能医療機器」「農業機械設備」です。
「中国製造2025」スタートの翌年(2016年)、上海で開かれた仏ダッソー・システムズ主催会合での中国工業情報化部(MIIT)幹部(小鵬情報担当次官)の発言が報道されました。その内容に、中国の本格的変化を感じた記憶が残っています。
曰く「中国は『世界の工場』と呼ばれるようになったが、製造プロセス管理の最適化では独米日の後塵を拝している。製造プロセス管理の最適化は企業経営を根幹から見直す課題。『中国製造2025』は『技術の視点』ではなく『経営の視点』で行わないと失敗する」。
「低賃金に依存した『労働密集型』から、IT・AIを活用した『技術密集型』への転換が不可欠。これまで製造業経験のない新しい企業が一気にそれを成功させる可能性が大きい」。
「5つの基本方針には『環境保全』も含まれる。環境に配慮した持続可能なプロセスを構築しないと長期的成長は見込めない。特に大規模なインフラ整備を伴う再生可能エネルギー分野では、失敗しないために事前のシミュレーションが重要である」。
この会合を契機に仏ダッソー・システムズは「中国製造2025」の支援方針を表明。その後、独シーメンスや日本の有力企業も支援に染手。
2017年の中国ハイテク分野の成長率は13.4%。「中国製造2025」スタート以来、成長率は続伸しており、日本企業もその恩恵を享受。2017年の中国向け工作機械受注額は前年比2.1倍、外国からの工作機械受注額に占める中国のシェアは約3割となりました。
「中国製造2025」支援をビジネスチャンスと捉えているでしょうが、「軒(庇)を貸して母屋を取られる」リスクも大。その懸念はトランプ大統領の対中国の言動にも共通します。
「『中国製造2025』を中止しろ」「政府による補助金政策を止めろ」というトランプ大統領の発言には驚かされますが、その背景を読み取ることが必要です。トランプ大統領の人物像に引っ張られ、覇権争いの深層を見過ごしてはなりません。
トランプ政権は中国覇権主義の伸長に対抗し、今年3月、500億ドル分の中国製品に制裁関税を課すと表明。5月以降、政府間協議を行ったものの、米国側が求める「中国製造2025」の撤回や知財対策で溝は埋まりませんでした。
この間、EUや日本も標的になっていること、北朝鮮やイランにも制裁が行われていること、ロシアとの複雑な関係も同時進行であること、及びそれらの関係が輻輳していることが、米中覇権争いの深層を見えにくくしています。
トランプ政権は、対中国制裁関税対象として7月6日に産業用ロボット等を含む第1弾818品目340億ドル分を発動。先週8月23日には第2弾を発動。集積回路やメモリー、半導体製造装置、化学素材等、279品目160億ドル分に関税25%上乗せを決定。第1弾と第2弾の合計500億ドルは、中国からの年間輸入額の約1割に相当します。
中国も同規模の報復として、古紙、自動車、銅、アルミニウム屑等、333品目160億ドル分に25%の追加関税を賦課。
トランプ政権は中国が報復措置に出れば第3弾の制裁を行う方針を7月10日に表明済み。6031項目2000億ドル分の第3弾は日用品や食料品が全体の24%に及びます。9月上旬までに産業界の意見を聴取したうえで、発動手続きに入るようです。
これに対し、中国もLNG(液化天然ガス)等を含む600億ドル分の報復リストを公表済み。米中間の貿易戦争は泥沼化しており、両国の報復関税で中間財コストが上昇すれば、米中を中心とした世界のサプライチェーンと経済に影響が広がります。
米中は8月22日から6月以来の公式対話となる次官級協議を開始。11月の首脳会談開催を睨んで解決の途を探っていますが、双方に強硬論が根強く、先行きは不透明です。
中国は上述の東欧のみならず、アフリカ、中南米、東南アジア諸国の囲い込み、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の結束強化にも注力。11月の米中間選挙の動向も含め、日本の情報収集力、分析力、交渉力が問われます。単純かつ短絡的な対応は禁物です。(了)