1月も後半号は断念。2月前半号として398号をお送りします。新しい拙著「『賢い愚か者』の未来-政治、経済、歴史、科学、そして人間、『深層』へのアプローチ-」(早稲田大学出版部)を上梓しました。ご興味がある方にご一読いただければ幸いです。書店でお求めください。
1.労働生産性のマジック
1月22日の日本経済新聞の一面トップ記事。内容は日本の賃金や労働生産性に関するものであり、その見出しは以下のとおりでした。
「日本の賃金、世界に見劣り」「生産性の伸びに追いつかず」「国際競争力を左右」「G7のうち日本だけが賃下げ」「人材流出の恐れ」。由々しき事態です。
1980年以降の平均賃金を100とした指数でみると、2008年から2012年までは実質賃金の伸びが労働生産性の伸びを上回っていたのに対し、2013年以降は実質賃金の伸びが労働生産性の伸びを下回っています。
日銀のデータによると、過去5年で日本の労働生産性は9%伸びた一方、実質賃金上昇率は2%。新聞の見出しどおり、賃金の伸びが「生産性の伸びに追いつかず」。
政府は大企業の賃上げ率が4年連続で2%超と喧伝してきましたが、それでも主要国の中で日本の賃金水準が低いことが問題なのです。
OECD(経済協力開発機構)公表の2016年の各国実質賃金(各国通貨ベース)を見ると、G7の中で日本だけが2000年よりも低い水準です。
過去20年、デフレが続く中、政府や企業が「人件費が増えると国際競争力が落ちる」と考え、賃上げを渋ってきたことが原因です。大半の国民は所得が増加している実感はありません。
G7のみならず、日本企業の幹部クラスの賃金水準はアジア諸国にも抜かれています。さらに、一部の新興企業は若手社員に対しても日本よりも高い賃金を払い始めています。中国通信機器大手「華為技術」の日本国内の新卒初任給は40万円。日本の大企業の倍です。
「労働生産性が低いことが低収益、低成長の原因。労働生産性が向上すれば、企業収益もGDPも増加する」というロジックは、典型的な日本の政府及び企業の固定観念であり、生産性の定義や意味を正しく理解できていないようです。
労働生産性の定義式は、GDPを労働者数で除します。労働者数一定とすれば、GDP増加で労働生産性上昇。逆に、GDP一定とすれば、労働者数減少で労働生産性が上昇します。
つまり、政府の政策や企業の戦略が奏功してGDPが増加すると、結果として労働生産性は上昇。奇妙な話ですが、失業者増加(労働者減少)で労働生産性は上昇します。高失業率の国の労働生産性が意外に高いことの一因です。
生産要素には労働以外もあります。資金や設備等の資本、土地等のほか、それらの生産要素以外の要因を包括する全要素生産性(TFP)もあります。
労働以外の生産要素の生産性が向上し、実質GDPが増加すれば、労働者の働き方が変わらなくても労働生産性は結果として向上します。
日本の政府や企業は、労働生産性がGDP変動の「結果」なのか、「原因」なのか、この点をよく考えることが必要です。短絡的に「原因」と捉えていることが、政府の政策や企業の戦略が奏功せず、経済が低迷している「原因」です。
頭の体操をしてみましょう。例えば、スーパーのレジ係の入力スピードが倍になると労働生産性は倍になります。しかし、それでスーパーの売り上げが増えるわけではありません。スーパーの立地や営業戦略、品揃えや広告等が奏功しないと、売り上げは増えません。
労働生産性を都道府県単位で比較すると、東京都が高く、その他の道府県は低くなります。東京の労働者が地方の労働者よりも優秀だからでしょうか。そうではありません。東京に人口が集中し、需要(つまり、売り上げ)が多いためです。一極集中の是正が必要です。
アップルやグーグルの社員と、業績が低迷している日本メーカーの社員を総入れ替えすると、日本メーカーの労働生産性が上昇するでしょうか。そうはなりません。それは、その日本メーカーにはアップルやグーグルのような商品がないからです。
労働生産性の定義式を展開すると、GDPは労働生産性に労働者数を乗じた値となりますので、労働生産性が上昇すればGDPが増加することもあります。しかし、それは単にスーパーのレジ打ちのスピードが速くなる的な意味ではなく、新しい商品や戦略を考え出す労働者の創造力や企画力が発揮されるという意味での労働生産性上昇です。
余談ですが、定義式の労働者には移民や外国人労働者は含まれません。したがって、移民や外国人労働者の多い国は自国民の労働生産性が高くなります。
労働生産性のマジックを正しく理解できないようでは、日本の経済政策や企業戦略は迷走し続けることでしょう。
2.「原因」と「結果」
日本人の労働時間は1990年の約2100時間から2015年の約1700時間に低下。一方、米国は約1800時間のままです。
直感的には、日本の労働生産性が上昇したことが予想できます。ところが、1990年と2015年の労働生産性ランキングを見ると、米国は3位のまま。日本は14位から21位に後退。
日本は労働時間を約2割削減して労働効率を高めたはずなのに、労働時間以外の要因によってランキングが低下。その要因とは何かが重要な問題です。
前項で述べたとおり、GDPや売上げが増えれば国や企業の労働生産性は上昇します。要するに、よく売れる製品やサービスを生み出せば労働生産性は上昇します。
2015年の労働生産性ランキング1位はアイルランド。産業の中心を農業から金融・ITに切り替えたことでGDPが増加し、労働生産性が上昇しました。
社員や企業の創造力・技術力・企画力、経営者の戦略・手腕のみならず、科学技術・通商産業・人材育成等の政府の政策が決定的な影響を与えます。
昨夏、北欧諸国を訪問。目的は社会保障制度・税制の調査でしたが、各国の賃金水準や物価水準の高さとともに、働き方の違いも再確認できました。
上述のとおり、2015年の日本の労働生産性ランキングは21位(統計データのある主要34か国中)。一方、北欧諸国のランキングはいずれも上位。ノルウェーは2位です。
ノルウェーでは始業・終業時刻が決まっている企業は2割以下。多くの企業が「フレックス」や「フルフレックス」制度を導入。勤務場所を問わない「リモートワーク」も約8割の企業が採用。労働者の自己責任、自己管理で労働時間と就業スタイルを選択する勤務形態が定着しているようです。もちろん、職種や企業の業務内容による違いはあります。
日本では労働生産性の低さを「働き方が悪い、仕事の仕方が非効率」というロジックで労働者の責任に押しつける議論が多いようですが、一面的に過ぎます。勤務形態ひとつとっても、労働者の創造力を高めるような工夫が必要でしょう。
なぜ日本の労働生産性は低いのか。要するに、労働者自身以外の要因の影響が大きいのが実態です。
中でも、経済状況を考慮せずに労働生産性の議論をすることは問題の本質、労働生産性の定義から関心を逸らせてしまいます。
労働生産性がGDPや売上げの「結果」であるとすれば、経済全体や消費者の需要不足、その背景に影響しているデフレや不景気も関係しています。
労働生産性が低いからデフレや不況が生じたのではありません。デフレで不況だから労働生産性も「結果」として低いのです。「原因」と「結果」の関係の整理が肝要です。
そういう観点から言えば、金融緩和によるデフレ対策、財政支出による景気下支えの取組みは理解できます。問題は、金融緩和や財政支出が有効に機能しているか否かです。
需要を増やすという理由で、公共事業中心に財政支出を拡大。日銀による異常とも言える金融緩和は事実上、財政ファイナンスになっています。
注目すべきデータをひとつご紹介します。IMF統計に基づいて試算すると、1960年から2015年の56年間の日本の公的資本形成の対GDP比は7.7%、実額にして1389兆円。
同時期のG7の他6か国合計の対GDP比は3.9%。日本の半分です。仮に対GDP比が欧米並みであった場合、日本の公的資本形成は685兆円多い計算になります。
物価水準を勘案して現在価値に引き直すと956兆円。単純比較はできませんが、欧米比で約1000兆円多い公的資本形成を行っていた計算になります。約1000兆円を教育や科学技術、人材育成等に投入していたら、現在の日本はずいぶん違う姿になっていたのではないでしょうか。
もちろん、戦後復興の必要性、インフラが十分ではなかった時代的背景、山間部や災害が多い国土の特徴等も勘案する必要はあります。
とは言え、財政支出がよく売れる製品やサービスの創造に寄与する科学技術や人材育成等に効果的に投入されることが肝要です。需要であれば何でもよいという発想で、かつてのような公共事業偏重になっては、とても労働生産性が上昇することにはつながりません。
単なる財政ファイナンスのための金融緩和、しかも公共事業中心の需要不足対策という先祖返りの構造になっていることは、日本の政策や政治の大問題です。
3.「ピーターの法則」と「ディルバートの法則」
以上のように、労働生産性の議論は単純ではありません。息抜きに、働き方や企業の人事戦略に関するブラックユーモアの話題を紹介しましょう。
1969年、南カリフォルニア大学教授のピーター・ローレンスが著書「The Peter Principle」を出版。同年、「ピーターの法則―創造的無能のすすめ―」というタイトルで邦訳が出版され、経営学に一石を投じました。
「ピーターの法則」は、企業等の組織において、構成員は能力の限界まで昇進し、最終ポストでは無能になること。換言すると「組織の構成員は最後には無能な管理職になる」。
構成員は能力に応じて昇進するものの、能力の限界まで昇進すると最終ポストでは無能。その結果、高ポストは無能な構成員で埋め尽くされ、結局、組織の推進力は昇進余地のある低ポストの構成員であるとするブラックユーモア。
この現象は、必ずしも高ポストがより難しい仕事であることを意味しません。以前は有能にこなせた仕事と内容が異なるにすぎず、昇進した構成員が当該ポストに要求されるスキルを持ちあわせていないことを示唆しています。
例えば、製造現場で有能な社員が昇進して管理職になると、身に付けたスキルは新しい仕事には役立たず、無能になってしまう現象を表現しています。ピーターは、この現象を回避する手段として、2つの経営学的アイデアを提示しました。
第1に、現在の仕事で有能さを発揮している者はあえて昇進させず、賃金引き上げ(昇給)で報いること。技術を持った有能な非管理職は無能な管理職よりも価値がある。故に、技術系と事務系の処遇に関する体系を別建てにして、適切に厚遇する。
第2に、新たなポストに誰かを昇進させる場合、当該ポストに必要なスキルに関する十分な訓練を受けた者を昇進させること。これにより、昇進前に当該ポストに必要な能力に欠ける者を発見することができる。
「ピーターの法則」を逃れる手段の一例として契約社員の活用が挙げられます。IT企業における技術系契約社員、事務系における総務系契約社員等です。契約社員を単なるコストダウンの手段として捉えることは、適切ではありません。
契約社員は組織の人事システムと切り離されています。雇用不安等の問題もありますが、賃金が十分であれば、契約社員として、納得のうえで活躍する被雇用者も少なくないことでしょう。
「ピーターの法則」に類似するのが「ディルバートの法則」。米国のコマ割り漫画「ディルバート」の中で作者スコット・アダムスが述べた風刺的見解です。
曰く、企業は事業損失の最小化を図るため、無能な者から管理職に昇進させる傾向がある。1995年の作品中で漫画のキャラクターであるドッグバートが「リーダーシップとは業務の流れから間抜けを取り除く自然の摂理である」と発言したことに端を発しました。
アダムスは1996年の同名著書の中で、「ディルバートの法則」は「ゴリラの群れを率いる第1位のオスを選び出すのと同じ」と表現。同書は150万部以上売れるベストセラーになり、大学院の経営学修士(MBA)や管理職研修で必修科目や推薦図書となっています。
「ディルバートの法則」は「ピーターの法則」の変化形です。「ピーターの法則」は「昇進は、現在の仕事で有能さを発揮している者から長所を奪い取るリスク」があり、その結果、「有能だった者は不適当な地位に昇進し、そこに無能者として留まる」ことを述べています。
一方、「ディルバートの法則」は「無能な者は組織に害を与えないように意図的に昇進させられる」としています。組織上層部は実質の生産には寄与しておらず、現実の生産的業務は下層部の人々が担っているという考えに基づいています。
因みに、主人公のディルバートは技術者。彼とペット犬のドッグバートを主な登場キャラクターとする風刺漫画。企業文化を皮肉ったユーモアが売りです。1989年から新聞で連載が始まり、世界65カ国、2500の新聞、25の言語で描かれ、1.5億人の読者がいると言われています。
「ディルバート」は、企業を自己目的化した官僚主義と生産性を妨げる人事や経営がはびこる存在として描いています。社員の技能と努力は効果的に評価されず、忙しく見せかけるだけの仕事が評価されると揶揄しています。
米国の人気漫画「ディルバート」。職場の士気や生産性は、オフィスの机や仕切り壁に貼られた「ディルバート」の漫画の枚数に反比例するというジョークも語られているそうです。「ディルバート」の漫画がたくさん貼られている職場は、その企業の官僚主義的体質への全体的なフラストレーションを反映しているという解釈です。
アダムスは「企業には2種類ある」としています。ひとつは、自社が「ディルバート」に似ていることを自覚している企業。もうひとつは、「ディルバート」に似ているがそれを自覚していない企業。
短絡的な労働生産性の議論に陥らないことが、「働き方改革」を有意なものとする要諦です。(了)