【Vol.385】「空気」につながる「集団思考」と「沈黙の螺旋」

トランプ米大統領がパリ協定からの離脱を表明。米国も世界も漂流し始めました。日本はその中でどう行動すべきか。熟考が必要です。大統領の代わりはいても、地球の代わりはありません。


1.集団思考

北朝鮮の度重なるミサイル発射、米空母2隻の日本海への派遣。米朝双方が軍事的威嚇の連鎖に陥っています。

日本としては的確な対応をしなければなりませんが、「紛争が起きない」「紛争を起こさない」ようにすることが最善です。その点に反対の人はいないと信じたいです。

全く別の話ですが、東芝の迷走が続いています。決算対応、米原発子会社の処理、半導体子会社の売却等を巡り、難しい判断を迫られています。

国の安全保障であれ、企業の経営であれ、判断ミスを生む人間心理、意思決定権者の行動原理をよく自覚しておくことが重要です。とくに最近の日本社会の雰囲気は、その必要性を感じさせます。

「集団思考」という心理学の用語があります。英語では「グループ・シンキング」、日本語では「集団浅慮」と訳される場合もあります。

米国の社会学者ウィリアム・ホワイト(1917年生、1999年没)が1952年に雑誌フォーチュンの中で使ったのが最初と言われています。

その後、米国の心理学者アーヴィン・ジャニス(1918年生、1990年没)は、「集団思考」を政治や軍事分野の分析に適用しました。

ルーズベルト政権は日本の真珠湾攻撃の可能性をなぜ過小評価したのか。トルーマン政権は朝鮮戦争で中国が参戦する可能性をなぜ検討しなかったのか。

ジョンソン政権はベトナム戦争の泥沼化の警鐘をなぜ軽視したのか。ケネディ政権はキューバ侵攻計画の非現実性をなぜ見逃したのか。

ジャニスは公開された記録を丹念に調べ、米国大統領と政府・軍幹部で構成される集団の意思決定の失敗を分析しました。

米国情報機関は、CIA(中央情報局)、国務省、FBI(連邦捜査局)等の多元構造になっており、ホワイトハウスが的確な判断を行い得るように工夫されています。それでもなお判断ミスをする条件として、ジャニスは以下の3点を指摘しています。

第1に、団結力のある集団であること。第2に、組織のガバナンス体制に構造的な欠陥があること。第3に、刺激の多い緊張した状況に置かれていること。

第2の条件の具体的な要素は、公平なリーダーシップの欠如(メンバーに平等かつ十分な発言機会を与えないこと)、多様性の欠如(メンバーの社会的背景やアイデンティティの同質性・均一性)です。

ジャニスは、以上のような条件が揃っている状況下で、人間は「集団思考」によって不的確または誤った判断をしてしまうと結論づけています。どのような組織であっても、参考になる分析だと思います。

「集団思考」とよく混同される概念が「集団心理」です。「集団心理」は「群衆心理」とも言われますが、集団が過剰反応したり、ストレスが極端に高まった状態を示しています。

19世紀末の欧州情勢の中で、政権や王権を脅かすほどになりつつあった群衆の動きを否定的にとらえた3人の心理学者、イタリアのシピオ・シゲーレ(1868年生、1913年没)、フランスのル・ボン(1841年生、1931年没)、英国のウィリアム・マクドゥーガル(1871年生、1938年没)によって「集団心理」の概念が固まっていきました。

過去のメルマガ300号(2013年11月28日号)や344号(2015年9月23日)で山本七平氏の分析した「空気」について触れました。

「集団心理」「群衆心理」は、何か全体の「空気」のような意見やムードに影響されて形成される大衆や社会の雰囲気や精神状態のことを指します。

北朝鮮と米国の威嚇行為の連鎖は、日本社会に某かの「空気」を蔓延させ、日本社会の「集団心理」に影響を与えつつあることが想像できます。

「集団思考」は不的確かつ間違った意思決定をする原因、「集団心理」は社会全体の雰囲気や精神状態。この違いを理解しておかなくてはなりません。

2.沈黙の螺旋

「集団心理」の概念が確立してから半世紀以上経た1980年、西ドイツの社会学者エリザベート・ノイマンが「沈黙の螺旋理論」という本を出版しました。

人間には孤立を恐れ、回避しようとする本能があります。自分の周囲や社会の多数意見がどのような内容であるかを推測し、その多数意見に同調しようとする習性があります。

自分が多数意見と異なる意見を抱いていると推測すると、自分の意見を言わなくなり、その結果、沈黙が螺旋状に蔓延していく社会のムードを「沈黙の螺旋」と称したのです。

1988年には日本語訳が出版され、たまたま本屋で見かけて購入し、興味深く読んだことを記憶しています。日本経済がバブルの雰囲気に酔いしれていた絶頂期でした。言わば、山本七平氏の「空気」のドイツ版の概念と言ってよいでしょう。

2001年9月1日、米国同時多発テロ事件が勃発。許し難い蛮行です。報復を訴えるブッシュ大統領、同調する米国世論と連邦議会。もちろん、そういうムードになるのはもっともなことです。

9月14日、連邦議会はブッシュ大統領に報復のために「必要で適切なあらゆる軍事力」を行使する権限を与える決議を採択しました。

上院は全会一致、下院は420対1で可決。下院で唯一の反対票を投じたのが民主党の女性議員、バーバラ・リーでした。

リー議員の決議に反対する演説は、賛成議員たちの心にも響いたそうです。ベトナム戦争時の史実をとりあげ、次のように述べました。

「私たちは過去の過ちを繰り返すことはできません。1964年に連邦議会はジョンソン大統領にあらゆる必要な手段をとる権限を与えました。連邦議会は憲法上の責任を放棄し、ベトナムでの宣戦布告なき長い戦争に米国を送り出したのです」

「トンキン湾決議に反対した2人のうちの1人、ワイン・モース上院議員は反対演説で次のように言いました。歴史は、連邦議会が合衆国憲法を守らず、台無しにするという重大な過ちを犯したことを記録するだろう。(中略)モース上院議員は正しかったのです。私は今日、私たちが同じ過ちを犯しているのではないかと恐れています」

トンキン湾決議とは、ベトナム戦争時の決議のことです。1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍哨戒艇がアメリカ海軍駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされるトンキン湾事件。

この事件を契機に米国は本格的にベトナム戦争に介入、北爆を開始。連邦議会は、上院88対2、下院全会一致で大統領支持の決議を採択しました。上院の反対票2票のうちの1票を投じたのが上述のモース議員です。

しかし、1971年6月、ニューヨーク・タイムズが「ペンタゴン・ペーパーズ(国防省の内部文書)」をスクープ。トンキン湾事件は米国が仕組んだ謀略だったことを暴露しました。

「9.11」を契機に米国はアフガニスタン空爆を開始。さらに2003年、イラクの大量破壊兵器保有を理由に米英両国がイラクへの軍事攻撃を開始。日本も自衛隊をサマワに派遣。同年12月、イラクのフセイン大統領は逮捕され、2006年に処刑されました。

2004年10月、米国調査団が「イラクに大量破壊兵器はなかった」との最終報告書を提出。米国政府も大量破壊兵器に関する当初のCIA情報が間違いであったことを認めました。

米国に同調した英国では、開戦前にブレア首相が「フセイン政権が生物化学兵器を保有している」との報告書を議会に提出。この情報の真偽を巡って自殺者まで出る騒動となり、ブレア首相は「国民を騙した」として支持率が急落。任期途中の退陣に追い込まれました。

「沈黙の螺旋」は大いなる過ちの原因になる危険を抱えています。そうした過ちを犯さないための最大限の努力は、多数意見や「空気」に気押されず、異論や少数意見を堂々と表明することです。

ノイマンは「沈黙の螺旋」による過ちを克服する方法として、多数意見にあえて異を唱える者を意図的に用意することを提唱。「悪魔の代弁者」と命名しています。

上述のとおり、「集団思考」に陥る第2条件の具体的要素のひとつは「メンバーに平等かつ十分な発言機会を与えないこと」です。

最近の日本社会、どうも気になります。「空気」と「沈黙の螺旋」に支配され、「集団思考」に陥り、自由な発言が抑圧されているような気がします。

3.アビリーンのパラドックス

オリンピック開催に異を唱える者、共謀罪を導入する法案はテロ対策と関係ないことを訴える者、政権の姿勢に異を唱える者。

こうした人たちやその意見を遠巻きにして封じ込める「空気」があります。気持ちの悪い不健全さを感じます。多数意見と思い込んでいる多数意見は本当に多数意見でしょうか。

1996年、米国の経営学者ジェリー・ハーヴェイが「アビリーンのパラドックスと経営に関する省察」という本を出版しました。「アビリーン」とは本の中の挿話に登場する土地の名前です。要旨は次のとおりです。

ある夏の日、米国テキサス州のある町である家族が団欒をしていました。家族の1人が遠くのアビリーンに旅行することを提案します。

家族の誰もがアビリーンへの旅行を望んでいなかったにもかかわらず、「きっと他の家族は旅行を望んでいる」と誰もが思い込み、誰もその提案に反対しませんでした。

道中は暑く、埃っぽく、とても不快。本当は誰もアビリーンに旅行したくなかったという事実を家族が認識したのは、旅行から帰った後でした。

以上のような挿話です。「アビリーンのパラドックス」は「集団思考」のひとつのパターンであり、社会心理学が扱う現象として説明されています。

現在の日本が向かおうとしている目的地。きっと多くの人がそこに行くことに同意しているんだろうと勝手に推測し、誰も何も言わないという状況のように思えてなりません。

社会全体のそういうリスクに警鐘を鳴らし、歯止めをかけ、バランスを維持する役割のマスコミ、ジャーナリズム自らが「アビリーンのパラドックス」を扇動していることは悲劇的です。

野党が最大の歯止め役であることは言うまでもありません。しかし、「みんな、本当にアビリーンに行きたいのかな。アビリーンは快適な場所ではないよ」と警鐘を鳴らしても、マスコミ、ジャーナリズムがそれを無視していては、その効果は減殺されます。

社会や歴史の悲劇は、対立による争いから発生するばかりでなく、同調による沈黙からも発生します。過度の同調は対立よりも悲劇的です。

集団内の意見表明を自粛し、自由な議論が行われない状況下、何の根拠もなく多数意見を忖度(そんたく)し、集団の意思決定が「集団思考」によって行われ、悲劇に陥ります。

「アビリーンのパラドックス」は言わば「事なかれ主義」。集団が、その構成員の実際の選好や嗜好とは異なる決定をしてしまう人間及び人間社会の欠陥を指摘しています。

冒頭で紹介した米国心理学者ジャニスが1982年に出版した「集団思考」(副題は「政治的決定と失敗の心理学的研究」)という著作の中(175頁)で、集団が欠陥のある決定をする兆候として、以下の7点をあげています。

第1に代替案を充分に精査しない、第2に目標を充分に精査しない、第3に採用しようとしている選択肢の危険性を検討しない、第4に一度否定された代替案の再検討をしない、第5に情報を十分に集めない、第6に手許にある情報の取捨選択に偏向がある、第6に非常事態に対応する計画を策定しない。

上記7点を噛みしめてみると、日本の現状が懸念されます。緊張が高まる安全保障政策のみならず、産業政策でも、金融政策でも、欠陥のある決定をしてしまう危険性があることを感じざるを得ません。

「そんなことはない。杞憂ではないか」という意見もあろうかと思います。しかし、「空気」とは、気づかないからこそ「空気」です。

気づかないからこそ「空気」であるその「空気」を認識するためにはどうしたらよいのでしょうか。違う「空気」を吸ってみると、気づかない「空気」の匂いや雰囲気を感じます。つまり、自分と異なる意見を持っている人や集団と議論や交流をすることでしょう。

政府であれ、企業であれ、欠陥のある意思決定をしないために、「集団思考」「沈黙の螺旋」「アビリーンのパラドックス」等の概念を理解し、自問自答してみることが有益です。

6月2日の中日新聞(東京新聞)に掲載された元CIA諜報員エドワード・スノーデンのインタビュー記事。興味深く読みました。

スノーデンはNSA(米国家安全保障局)による大規模な個人情報監視を告発し、ロシアに亡命中。彼は、NSAが極秘情報監視システム(エックスキースコア)を日本側に供与していたことを暴露。

日本政府は、国民のメールや通話等の大量監視を行える状態にあることを指摘し、「共謀罪」捜査のための情報活動が行われるようになると、個人情報の監視が行われるようになると警鐘を鳴らしています。

そして、「共謀罪」に関して同趣旨の懸念を表明した国連特別報者ジョセフ・カナタチ氏(マルタ大教授)の意見に同意すると述べています。

国会は今、「沈黙の螺旋」を誘発するような法律を制定しようとしています。息苦しい。法律の功罪は運用者次第の面もありますが、今の政権の姿勢では、やはり懸念の方が圧倒的に大きいと言わざるを得ないでしょう。(了)


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