昨年来、今年は国際情勢や海外の選挙結果が日本の先行き予測に大きな影響を与えるとお伝えしてきました。北朝鮮を巡る緊張は続いています。フランス大統領選ではマクロンが勝利。6月の国民議会選挙に向けた第2ラウンドがスタートしました。今回は今後の情勢分析のために、マクロンや欧州情勢に関する必須情報を整理しておきます。
1.金融のモーツァルト
新組織「前進」のエマニュエル・マクロンが、「国民戦線(FN)」のマリーヌ・ルペンを大差で破り、フランス第5共和政(1958年以降)8人目の大統領に就任しました。
歴代の7人はド・ゴール(1959年から69年)、ポンピドゥー(69年から74年)、ジスカールデスタン(74年から81年)、ミッテラン(81年から95年)、シラク(95年から2007年)、サルコジ(07年から12年)、オランド(12年から17年)。
第5共和政下では左右2大政党以外から初の大統領。フランス史上最年少の39歳です。
マクロンは1977年、仏北部アミアン出身。医師の家庭に育ち、パリ政治学院や国立行政学院(ENA)を経て金融界に就職。
投資銀行ロスチャイルドで企業合併を担当し、「金融のモーツァルト」というニックネームがついていたそうです。
日本でも著名な経済学者ジャック・アタリを介して政界と人脈ができ、2012年大統領府入り、14年8月に経済相に就任。
昨年4月、超党派の運動組織「前進」を立ち上げ。8月に経済相辞任。社会党、共和党の左右2大政党の大統領選予備選前の11月、機先を制して大統領選へ出馬を表明。
4月の第1回投票では、2大政党の候補者が敗退し、新興勢力マクロンと極右ルペンという過去に例のない構図で決選投票。
マクロンは「左派でもなく右派でもない」をキャッチフレーズに、移民を包摂する多様な社会を目指し、EU(欧州連合)統合を進める立場を主張。
一方、ルペンは、反移民、反グローバリズム、反エリート主義、自国第一主義(フランス・ファースト)を主張。
得票結果はマクロン66%、ルペン34%でマクロン勝利。しかし、フランス国内の世論の分断が明らかになり、北東部や南部の高失業率地域及び労働者層はルペン支持、西部と都市部及び移民子孫層ではマクロン支持という構図が鮮明化。
決選投票の投票率は第1回投票より約3%ポイント低い74.62%。2大政党の候補者不在の影響で、2大政党支持の有権者の投票率が低く、棄権、無記名投票も続出。
投票希望の有権者は事前に選挙人名簿に登録する制度になっていますが、決選投票では登録有権者の約25パーセントが棄権。白票、無効票も合わせると、有権者の約3分の1が両候補のいずれも支持せず、「ルペンは論外だがマクロンも嫌」という展開でした。
選挙戦の集会等で、ルペンに対して「ファシスト」という野次が飛び、物が投げつけられ、投資銀行出身のマクロンも「金の亡者」「新自由主義者」と罵声を浴びるなど、過去に例のない殺伐とした大統領選だったと報道されています。
フランス社会の分断、将来に対する悲観的な見方に加え、過去3代の大統領の迷走(女性問題や低支持率)等の影響から、大統領に対する国民の敬意も低下。マクロンは第5共和制下のどの大統領よりも困難な展開に向き合うことになります。
第5共和政とは1958年から始まった現体制。第4共和政下(1944年から1958年)で、短命内閣による混乱、植民地インドシナ連邦の崩壊、アルジェリア独立戦争など、内外の困難に対処できない政権が続いたことから、ド・ゴール首相が大統領権限を強化。第5共和政発足後、ド・ゴール自身が大統領に就任。
死刑廃止や60歳定年制を実行した左派ミッテラン、第2次大戦の国家責任(ユダヤ人迫害等)を認めた右派シラクの任期前半頃までは大統領の権威は安定していましたが、シラクの任期後半、サルコジ、オランドとスキャンダルや低支持率が続き、今や第5共和政の末期症状の感もあります。
余談ですが、報道されているように、マクロンの夫人は25歳年上の高校時代の恩師。2人の間に子どもはいませんが、夫人には3人の子ども、7人の孫がいるそうです。
2.ポピュリズムの勢い
新大統領は昨日(14日)就任。最初の試金石は6月11日と18日に行われる国民議会(下院)選挙。新組織「前進」は全選挙区で候補者を擁立する方針と報じられていますので、政界再編は必至の情勢です。
先週末、マクロンは早くも国民議会(定数577人)選挙の候補者428人を発表。公募に応募した1万9千人から選考。半数余りが政治未経験のようです。
一方、マクロン陣営から立候補を希望した与党・社会党の現職議員を拒否。支持率低迷が続くオランド政権と一線を画す強気の姿勢を示しています。今後さらに候補者選考を進め、ほぼ全選挙区に候補者を擁立すると見られています。期限は19日。
マクロンは「ゴーリスト(ド・ゴール主義)でミッテラン派」を自称。「左派でもなく右派でもない」「左派から(共和党)ドゴール主義者まで」と語り、広範な支持層を取り込む戦略です。
メディアでは「前進」が249議席から286議席を獲得するとの予測も出ていますが、単独過半数に満たなければ、既存政党との連立を視野に入れた展開になります。
選挙中に公言した公約や政策への対応が選挙結果を左右します。まずはテロ対策。マクロンは当選後最初のテレビ演説で「フランスはテロとの戦いの最前線に立つ」と宣言。警察官を5000人増員し、国境警備も強化すると表明しました。
第1回投票直前にもシャンゼリゼ通りで警官が銃撃されて死亡。一昨年11月のパリ同時テロから続く非常事態宣言解除の見通しは立っておらず、テロ対策の実効性が問われます。
失業率が約10%で高止まりする雇用対策も急務。マクロンが経済運営に失敗して雇用情勢を好転できなければ、次の大統領選はルペン勝利と予想する報道が早くも出ています。
大統領選直後から国内製造業空洞化等への不満を訴えるデモも頻発。財政赤字解消を企図して10万人超の公務員削減にも言及。参加者は「マクロンはグローバリスト、経営者側の大統領」とシュプレヒコールしているそうです。
安全保障では、国防予算を2025年までにGDPの2%に拡大(現在1.7%)、徴兵制(1ヵ月間)導入、サイバー防衛強化、NATOとの連携強化を掲げ、核戦力の維持・近代化が独立国家の鍵と主張。
安全保障分野ではルペンと主張が似ていました。因みに、ルペンは国防費GDP比3%、徴兵制3ヶ月を主張。反NATOだけがマクロンと異なります。
難民・移民受け入れ、外国からの投資拡大、年金制度改革など、他の公約も多く、成り行きが注目されます。
国民議会選挙での有権者の投票先に関する仏メディアの世論調査によると、「前進」が25%、共和党22%、ルペン率いる国民戦線22%と拮抗しています。
現状では「前進」は最多議席を獲得する可能性が高いものの、ルペンの勢いも増しているとの見方もあります。
「アメリカ・ファースト」を掲げ、強権を振るう米国トランプ大統領の迷走を眺め、欧州では、オランダ下院選挙(3月)で極右ウィルダースの自由党が第1党になれず、今回のフランスでは極右ルペンが敗北。右傾化、ポピュリズム、保護主義に一定の歯止めがかかったとの論評が見られます。
しかし、ウィルダースの自由党は前回選挙から5議席増やし、議席数で第2党。ルペンは敗れたとはいえ1060万票を獲得。国民戦線創設者である父ジャンマリ・ルペンが2002年大統領選決選投票で得た票(550万票)の約2倍。右傾化、ポピュリズムは選挙には負けたものの、支持拡大は続いています。
大統領選挙での国民戦線の得票率推移を見ると、父ルペン時代の2007年約10%、娘ルペンに変わった2012年約18%(決選投票には進出できず)。しかし今回は決戦投票に残ったうえに、得票率34%。
ルペンが選挙直後に「歴史に刻まれる大量の支持を得た」と自賛したのも宜(むべ)なるかな。マクロンが失敗すれば、2022年大統領選でのルペンの勢いはさらに増すでしょう。
6月には英国総選挙もあります。メイ首相の保守党優勢が伝えられており、EU離脱支持、自国第一主義の傾向が続くということです。
そして9月にはドイツの総選挙。反EU、自国第一主義を掲げるフラウト・ペトリ党首(女性)率いる「ドイツのための選択肢」に注目が集まります。
そうした中で昨日(14日)行われたドイツ最多人口を抱えるノルトライン・ヴェストファーレン州(ドルトムントやケルン等の都市を含む)議会議員選挙では、メルケル首相率いるキリスト教民主同盟(CDU)が得票率33%を獲得。州議会与党の社会民主党(SPD)の32%を上回って勝利。メルケル政権には追い風です。
最近の「ドイツのための選択肢」は内紛状態。原因はペトリが穏健路線に転じて他党との連立を模索しているためです。それに対する反発が強いということは、反EU、自国第一主義の純化路線への傾向が強いということです。
欧州情勢は混沌としています。
3.自由からの逃走
6月のフランス国民議会選挙、9月のドイツ総選挙の結果如何では、欧州が自国第一主義に染まっていくのか、あるいは「独vs英仏」という構図になるのか、はたまた「独仏vs英」という構図になるのか。予断を許しません。
そもそも、欧州の歴史は英仏独を主軸とした戦争と対立の繰り返しです(メルマガ339号<2015年7月10日>、同363号<2016年7月13日>等参照)。後世になって、現在の混乱は、過去の欧州史に続く新たな対立の始まりだったと言われる可能性もあります。
よく知られているように、ヒトラーが政界に進出した当初は選挙によって正当性を得ました。その後、高い支持率の下で首相の権限を強め、国民の人権を制約する法律を成立させ、気がついたら独裁が確立していました。
3年前、某国の現閣僚が「気がついたら憲法が改正されていたというワイマール共和国(戦前のドイツ)の手法を見習ったらどうか」と発言して物議を醸しました。
最近の内外情勢を鑑みると、1941年に出版されたフロムの名著「自由からの逃走」を思い出さざるを得ません。学生時代にこの本を材料によく議論しました。
エーリヒ・フロム(1900年生、1980年没)はドイツの社会心理学、精神分析学、哲学の研究者。フロイト(1856年生、1939年没、オーストリア人)、ユング(1875年生、1961年没、スイス人)と並ぶ20世紀の精神分析学3巨頭のひとりです。
フロムはフランクフルトに生まれ、社会学者A・ウェーバー(1868年生、1958年没、ドイツ人、マックス・ヴェーバーの弟)、哲学者ヤスパース(1883年生、1969年没、ドイツ人)等の下で、社会学・心理学・哲学等を学びました。
ナチス政権成立直後の1933年、ジュネーヴ(スイス)に転居。1934年、米国に移住し、以後は米国やメキシコで研究・教鞭活動に従事。1974年、スイスに居を構え、晩年を過ごしました。
そのフロムがファシズムの登場背景を分析して出版した「自由からの逃走」。自由が与えられた大衆の行動に関する分析です。その11頁には以下のように記されています。
「ファシズムと戦うためには、ファシズムを理解しなければならない。(中略)ファシズムを勃興させた経済的社会的条件の問題のほかに、人間的な問題を理解する必要がある。」
戦前のドイツは、何が原因で国民はあのような選択を行い、何に導かれてあのような状況に陥ったのかを問うています。
その理由をフロムは「自由」に求めました。近代において確立された個人の「自由」が、人間の本質的な弱さと結びついて権威主義とナチズムを生み出したと結論づけています。
すなわち、「自由」を得た国民が、社会や経済の中で自分の欲求(所得、自己実現願望)を満足させられない状況(不況や他国との通商・外交関係)に不満とストレスを蓄積し、「自由」を束縛するほどの強権的な体制や指導者が自分たちの欲求を実現してくれるという幻想に囚われたと説明しています。
そして、人間の内面に潜むサディズムや権威主義と結びつき、「自由」に自己実現できない鬱積した気持ちを、「自由からの逃走」的な選択、すなわち強権的な政治を選択することで和らげるという構図です。内面に潜むマゾヒズムの発露とも言えます。
「自由」に思考し、「自由」に決定し、「自由」に行動することは、実はストレスの溜まる作業です。一方、強権的で権威的な者や組織の判断に同調することは、そのストレスを回避する安易で心地よい選択なのです。
個人や社会が「自由」の意味、「自由」に伴う権利と義務を履き違え、他者の「自由」や人権を否定して自己実現を求めてしまったという顛末に至ったのです。
「自由」だから何を決めてもよいということではなく、「自由」であっても許されない選択や判断があるということを、今の世界は自問自答する必要があります。日本も例外ではありません。
しかも、選択や判断の前提となる情報や報道が操作されていれば尚更です。
人間はかくも愚かで有害な生き物です。自身の欲求を追求することのみの思考・行動に陥っていないか。指導者も深く自省しないと、人間は再び災禍を繰り返すことになるでしょう。そうならないように、職責を果たします。(了)