【第174号】仏教は真っ暗な夜の道を照らしてくれる光

皆さん、こんにちは。いよいよ今年もあとわずか。寒い日が増えました。くれぐれもご自愛ください。

昨年から般若心経の意味を学んできたかわら版。ご心経は、生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。

最近は仏教ブームとも言われています。それはそうです。僕のような者までこうして仏教にまつわる「かわら版」を書いているくらいですから。人々が何かを仏教に求めているのかもしれません。

仏教は学んで理解する対象ではありません。人の心に問いかけるもの、生き方を考える道標、自分の生き様を省みる心の声。昨年来ご紹介してきたご心経二百七十文字が説く教えから、何かを自分で感じ取るものであり、定番の解釈や全員に共通の受け止め方が決まっているわけではありません。一人ひとりが、それぞれ何かを感じ入るものでしょう。

五木寛之さんの「仏教のこころ」という本のタイトルに誘われ、何げなく読んでいたら、次のようなくだりが出てきました。

「仏教が趣味、という人がいてもちっともかまわないが、それだけでは惜しい。仏教は真っ暗な夜の道を照らしてくれる光であってほしい。それがあることで、かろうじて生きることを投げださずに、痛みや不安に耐えていける力であってほしい。仏教ブームとは、そういう必死の思いから発生する人びとの運動である。その点から見ると、いまの仏教ブームというのが、いささか色あせて感じられてくるのはいたしかたのないことだろう。」

「仏教が趣味」と公言している私としては、何やら五木さんに改めて念押しされたような気がします。出会うべくして出会った文豪の一文です。

仏教は、何かにこだわることなく、広く穏やかな心で人や事物や社会を見つめ、病気や苦労も含めた全ての現実と向き合い、それを無理矢理変えようとしても変わるものでもないので、それをそのまま受け入れる努力をすること、その大切さを説いています。

同時に、なかなかそれができないのが人間。人間の執着や愚かさを戒め、争いごとの絶えない人々(衆生)を諭しています。

以上のことを、繰り返し、繰り返し、表現の仕方や喩えを変えつつ、説き続けているのが仏教であり、仏教の経典(お経)です。その中でも、ご心経は最も短いお経として親しまれています。

衆生(人々)が救われ、世の中(社会)の争いごとを少なくするためには、一人ひとりの心の持ちよう、生き方、人間哲学が大切です。

「かわら版」、今年もお世話になりました。来年もご愛顧のほど、よろしくお願い致します。それでは、良い年をお迎えください。合掌。

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