【第160号】無苦集滅道(むーくーしゅうめつどう)無智亦無得(むーちーやくむーとく)以無所得故(いーむーしょーとくこー)

皆さん、こんにちは。いよいよ秋本番ですね。 さて、般若心経の意味を学ぶ今年のかわら版。生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。

今月は「無苦集滅道(むーくーしゅうめつどう)無智亦無得(むーちーやくむーとく)以無所得故(いーむーしょーとくこー)」の十五文字。

「無苦」は「苦しみを無くす」。「集」は「苦しみの原因」。昨年二月号で「苦諦・集諦・滅諦・道諦」についてご説明しました。「集諦(じったい)」は「苦の原因を明らかにすること」でしたね。つまり「集」は「原因」を意味します。

「滅道」は苦しみを「滅」して、正しい「道」を歩むこと。正しい「道」は「八正道」。これは昨年四月号で取り上げました。

「無智亦無得」は「知恵も無ければ、得るものも無い」というような否定的な印象を受けるかもしれませんが、全く逆。

仏教では「無学」は「学ぶものがない」ほどの覚りの境地を指します。

「得」は「執着」。正しい道を歩み、苦しみの原因を滅すれば、執着もなく、無学の境地に至る。最初の十文字はそのように受け取ることができます。

ここまで理解できると「以無所得故」も何となく想像できます。「所得」も「執着」を意味します。先月号でお示ししたように、人間は「無明」から始まる「十二縁起」の産物。始まりも終わりもない存在です。

にもかかわらず、自分の「五蘊」(四月号)や「六根」(七月号)、肉体や能力に「執着」し、「欲」に囚われます。それが「所得」です。

その「所得」の心が「無」いが「故」に「以(もっ)」て「無苦集滅道無智亦無得」なのです。

でもどうやってそんな心境になれるのでしょうか。それが修行です。八正道を実践する「菩薩行」。説法を聞く「声聞行(しょうもんぎょう)」。自然の変化の中で因縁を知る「縁覚行(えんがくぎょう)」。

多くの人に親しまれるご心経。わずか三百文字弱の短いお経の中に、お釈迦様の教え、人間関係や社会の問題を和らげる心のあり方、生き方についての教えが詰まっています。

みんなが「以無所得故」となれば、国同士、人同士の争いや問題も少なくなるでしょうね。

それでは、また来月。ごきげんよう。合掌。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です