【第158号】無眼界乃至無意識界(むーげんかいないしむーいーしきかい)

みなさん、こんにちは。暑い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。さて、旧暦の知立の縁日は今月は五日、新暦の覚王山の縁日はもちろん二十一日です。

般若心経の意味を学ぶ今年のかわら版。生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。

今月は「無眼界乃至無意識界(むーげんかいないしむーいーしきかい)」の九文字。

先月号では、眼(視覚)耳(聴覚)鼻(嗅覚)舌(味覚)身(触覚)の「五感」に「第六感」である心(意識)を加えて「六感」という考え方を記しました。

つまり、「眼界」は目に見える世界。「意識界」は心が感じる世界。

あれ、「眼」と「心」の間の「耳・鼻・舌・身」はどこにいったのでしょうか。忘れたわけではありません。その四つは「乃至」という言葉で表しています。

「乃至」は「何々から何々まで」という意味の古語。ここでは「耳界」から「身界」までを省略して「乃至」と表現しています。

自分の六感で感じることには、全て自分の先入観や固定観念、自分の判断基準が影響しています。

「無眼界」は眼に見える世界もなく、「乃至」は耳に聞こえ、鼻に匂い、舌に旨く、身に触す世界もなく、「無意識界」は心に感じる世界もない。自分の先入観や固定観念、自分の判断基準に囚われない、ということです。

ここまで来ると、先月分も合わせて「無眼耳鼻舌身意」「無色声香味觸法」「無眼界乃至無意識界」の二十三文字の意味が何となくわかってきます。

六つの器官から入手する六つの情報、それを自分の先入観で好き嫌い、善し悪しを判断する六つの感性。

しかし、形あるものはやがて無くなり「空」になると思えば、それらに拘(こだわ)り、囚(とら)われ、捌(さばく)くことに執着してはいけないと教えてくれています。

多くの人に親しまれるご心経。わずか三百文字弱の短いお経の中に、お釈迦様の教え、人間関係や社会の問題を和らげる心のあり方、生き方についての教えが詰まっています。

みんなが「拘らない」「囚われない」「捌かない」という気持ちで日々過ごせば、人間関係や社会の問題もずいぶん解消されるような気がします。

暑い夏ですが、暑いと思えば暑い。六感に支配されることなく、「無眼界乃至無意識界」な気持ちで過ごしましょう。

それでは、また来月。ごきげんよう。合掌。

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