皆さん、こんにちは。師走もあとわずか。あわただしい毎日が続くと思いますが、くれぐれもご自愛ください。
お釈迦様の教えを噛みしめながら、社会や人のあり方を考える「耕平さんかわら版」。先月は「諸悪莫作(しょあくまくさ)」「衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」、自らの意思で「悪いことをしない」「善いことをする」という仏教の真髄を学びました。
仏教の真髄と聞くと「空」という漢字も思い浮かびます。「空」とは何も「無」いという意味ではありません。
「色即是空(しきそくぜくう)」という言葉もよく知られています。「色」は肉体や物質のこと。肉体は即ち「空」である。さて、どう受け止めるべきでしょうか。
「死ねば、無くなる」ということではありません。永遠に変わらないもの、変わらずに存在し続けるものはない。そのことをひと言で表すと「空」。
全てのかたちあるものは、いろいろな要素や原子の集まりやつながりから生まれ、何かの偶然で存在しているにすぎません。人間の場合、両親が何かのご縁で知り合い、あなたが生まれ、寿命が尽きると、元の要素や原子に還っていく。そのようなことが「空」です。
「諸行無常」「諸法無我」をひと言で表すと「空」ということかもしれません。「色即是空」は「肉体がなくなる」のではなく、「肉体に不滅なものはない」ということを諭しています。
「魂や精神は不滅」「生まれ変わる」という人が時々いますが、そんなことは誰も確認できません。魂や精神もやはり「空」。
「空」の原語はサンスクリット語の「シューニャ」。本来は医学用語で、症状として現れている現象のことです。つまり、何かの原因と条件によって一時的に現れている現象にすぎない。だから「空」。
何かの原因と条件と聞くと、「因縁」という仏教用語も思い出します。人間も含め、全てのものは何かの「因縁」「衆縁和合」で生じているにすぎず、「色即是空」です。
このことに得心すると、こだわりや欲からも解放されます。しかし、だからといって、努力や善行を怠っていいということではありません。ここが難しい。
こうしたことが理解できる人が増えれば、争いごとや悩みごとの少ない社会になりそうですね。仏教の教えは、日常生活においても、政治においても、多くの気づきを与えてくれます。
それでは皆さん、良い年をお迎えください。