【第147号】解脱・涅槃

皆さん、こんにちは。早いもので九月。朝晩は冷え込む日もあります。くれぐれもご自愛ください。

お釈迦様の教えを噛みしめながら、社会や人のあり方を考える「耕平さんかわら版」。昨年の夏から、「三法印」「四法印」「四苦八苦」「四諦八正道」「三学」「三苦」「三業」「三毒」など、いろいろ勉強したのでもうすっかり悟ったと思いたいところですが、そうはいかないのが仏教の奥深さ。

「さとる」という言葉も、漢字を当てると「悟る」と「覚る」がありますが、さて、どちらが適切でしょうか。

漢訳仏典では「覚る」が用いられています。そう、覚王山の「覚」。「覚王」とは「覚った王」、つまりお釈迦様の別名です。

「苦」の本質、「欲」と「苦」の関係など、かわら版を読みながらいろいろと考えてくださった皆さんは、「覚り」は得られています。

何しろ、どのようなことが原因で「苦」が生じるか理解したのですから、既に「覚り」を得ています。「苦」から解放される考え方や行動のあり方を知った段階で、やはり「覚り」を得ています。

ところが、ご指導いただている高僧がかつて次のようにおっしゃいました。曰く「覚るのは難しくない。しかし、解脱とは別だ」。

そう、「覚り」と「解脱(げだつ)」は別物であり、仏教は「解脱」の心境を説いています。

例えば、仏教の「五戒」は「不殺生戒」「不偸盗戒」「不邪淫戒」「不妄語戒」「不飲酒戒」。生き物を殺してはいけない、嘘をついてはいけない、お酒を飲んではいけないなど、「戒め」の内容は理解していますが、実はなかなか守れません。

「知る」ことは「覚る」ことですが、知ったことを「実行できる」状態になることが「解脱」です。「解脱」することで煩悩や苦がなくなり、スッキリした安からな心境になれるのです。

そのような心境を仏教では「涅槃(ねはん)」と言うそうです。

人殺しはいけない。当たり前のことです。だから、戦争は避けなければなりません。しかし、国と国との間では、双方が正義のためと称して戦争を行います。

「覚る」ことはできても、「実行する」ことは難しく、「解脱」して「涅槃」の境地に至ることは容易ではありません。だから日々精進が必要となります。

仏教の教えは、日常生活においても、政治においても、多くの気づきを与えてくれます。ではまた来月。

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