【第139号】一切皆苦・涅槃寂静

明けましておめでとうございます。かわら版も十三年目に入りました。今年もどうぞよろしくお願いします。

さて、昨年秋から「三法印(さんぽういん)」あるいは「四法印(しほういん)」と言われるお釈迦様の教えについてお伝えしています。

教えの第一は「諸行無常」、第二は「諸法無我(しょほうむが)」でした。今月は「一切皆苦(いっさいかいく)」と「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」です。

仏教では「苦」とは思いどおりにならないことを指します。たしかに、どんなことでも思いどおりにならないと苦しいですよね。生きることに「苦」はつきものです。

そして、老・病・死。いずれも避けることはできません。生・老・病・死が自分の思いどおりにならない。だから「苦」なのです。

なぜ思いどおりにならないのでしょうか。それは、全てのものが「諸行無常」で「諸法無我」だからです。ここで、第一の教えと第二の教えが関係してきます

永遠不変なものはなく、全てのものは変化する。だから「一切皆苦」なのです。

あらゆる「苦」は人間の欲や執着、つまり煩悩に起因します。煩悩がなくなれば「苦」もなくなります。煩悩から解放された心静かな状態が「涅槃」。悟りと言ってもいいでしょう。

煩悩に煩わされない悟りを開くこともあれば、死によって悟りに至る場合もあります。煩悩の根源である肉体がなくなれば煩悩もなくなるからです。そういう状態のことを「涅槃寂静」と言います。

「諸行無常」「諸法無我」「一切皆苦」「涅槃寂静」で「四法印」。「一切皆苦」を除いて「三法印」。仏教の教えの最も基本となる考え方です。

政治や政策は須(すべか)らく生・老・病・死に関係しています。自分の生業(なりわい)を盛んにするために様々なことを政治や行政に期待し、老・病・死から逃れるために医療や介護や年金の充実を求めます。

財源が無限にあれば何でもできます。しかし、何かを我慢してそうした政策の実現を求めるかと言えば、何かを我慢すること自体が「苦」。だから我慢もできません。

さてさて、人間とはかくも厄介なものです。政治や社会を良くするには、かくも厄介な人間が、「四法印」や「三法印」を道標に、少しでも賢くなることが肝要です。

今年も少しでも賢くなれるように精進したいと思います。一年間、どうぞよろしくお願いします。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です