皆さん、こんにちは。梅雨明けが待ち遠しいですねぇ。季節の変わり目です。くれぐれもご自愛ください。
さて、先月もお伝えしましたが、二〇〇二年七月から始まった覚王山日泰寺の「弘法さんかわら版」。今年の四月から知立の弘法山遍照院の縁日でもスタートしました。覚王山版に続く知立版の誕生です。
今月も、諸般の事情により、先月に続いて弘法山遍照院、覚王山日泰寺の縁起について、改めてご紹介します。
弘法山遍照院(知立市)
知立市弘法町にある真言宗豊山派の古刹。寺伝によれば、八一五年(弘仁六年)、弘法大師空海(時に四十一歳)が関東巡錫(じゅんしゃく※)の途中に知立にひと月滞在し、その際に彫った自像を本尊として創建されました。
自像は三体彫られ、そのうち一体がやや右を向いて振り返っているお姿であることから「見返弘法大師」と呼ばれてご本尊となりました。三体の自像は「三弘法」と呼ばれて奉安され、地域の人々に親しまれています。ご本尊は秘仏であり、お大師様のご命日である旧暦三月二十一日の御祥当(ごしょうとう)にご開帳されます。
参道では弘法大師の月命日である旧暦二十一日に「弘法さん」の縁日が開かれるようになりました。愛知県で最も賑わう縁日です。
一六七三年(延宝元年)、刈谷藩主の祈願時として上重原町(知立市)から現在の地へ移転。一九七九年(昭和五十四年)、現在の本堂が落慶しました。
※ 巡錫(じゅんしゃく)とは、僧が錫杖(しゃくじょう)を持って各地を巡り歩き、教えを説くこと。
覚王山日泰寺(名古屋市)
名古屋市千種区にある覚王山日泰寺。一八九八年(明治三十一年)、北インドのピプラーワーで史実に基づいて発見された仏舎利(世界的に初めて本物と認定された仏舎利)を納めるために建立された十九宗派による共同寺院です。
インドからシャム(タイ)国王に寄贈された仏舎利を、ピプラワカン国王が日本に分骨。その仏舎利を祀るため、帝国仏教会で奉安地を巡って大論争の末、一九〇四年(明治三十七年)に創られたのが覚王山日泰寺。「覚王」はお釈迦様の別名です。
やがて、参道では弘法大師の月命日である新暦二十一日に「弘法さん」の縁日が開かれるようになり、周辺には八十八ヵ所霊場の「写し」も登場。半径一キロメートル程度の範囲に収まっている「日本最小の八十八ヵ所霊場」です。
覚王山日泰寺の「弘法さん」は、弘法山遍照院の「弘法さん」と並び、愛知県で最も賑わいのある縁日です。
愛知県の誇る「二大弘法さん」の縁日で「弘法さんかわら版」をお楽しみください。知立は旧暦二十一日、覚王山は新暦二十一日です。