【第155号】四国霊場、紙上遍路の旅5(十八番母養山恩山寺・十九番橋池山立江寺・二十番霊鷲山鶴林寺・二十一番舎心山太龍寺

皆さん、こんにちは。初夏の五月。暑い日も増えてきましたね。さて、紙上遍路の今年のかわら版。では出発。

玉依御前(たまよりごぜん)

先月号は十八番札所母養山恩山寺に到着したところで終わりました。

お大師様がこの寺で修行中、生母玉衣御前が讃岐から訪ねてきました。

しかし寺は女人禁制。お大師様は仁王門近くで滝に打たれて十七日間の秘法を行い、女人解禁の願いを成就して御前は無事入山。

お大師様は生母に孝養を尽くし、御前は感謝の証に剃髪してその髪を奉納。今もお大師様が彫った御母公(ごぼこう)像と御前の髪が安置されています。

阿波の関所

恩山寺から約四・六キロメートル。十九番札所の橋池山(きょうちさん)立江寺は四つある関所のひとつ。阿波の関所と呼ばれます。

邪心をもった人は関所でお大師様のお咎めを受けると言われています。

かつて罪を犯した女の髪を巻き上げた鐘が残る黒髪堂もあり、無事に参拝を終えると、お遍路さんも「お関所が済んだ」と言ってホッとひと息。

行基が光明皇后の安産を祈願して彫った小さな念持仏を、後にお大師様が彫像した高さ一・九メートルの延命地蔵の中に納め、ご本尊としています。

お鶴さん

さて、十九番札所から約十五・七キロメートル。徒歩で四時間以上かかるのが二十番札所の霊鷲山(りょうじゅざん)鶴林寺。

お釈迦様が数多く説法を行ったインドの霊鷲山(りょうじゅせん)に似ていることに由来する山号です。

インドの霊鷲山は一九○三年(明治三六年)、日本の大谷光瑞(本願寺法主)探検隊が発見。後に、インド政府の調査に基づき、国際的に承認されたそうです。

阿波の霊鷲山は標高五百七十メートル。険しい山道が続きます。

お大師様がこの寺で修行中、雌雄二羽の白鶴がいつも飛来。小さなお地蔵様を見守るように老杉にとまっていたことに因んで鶴林寺と命名。お遍路さんにはお鶴さんと呼ばれて親しまれています。

十八・十九番札所はいずれも天正の兵火に遭いましたが、鶴林寺は山頂の難所にあるため、難を逃れました。
遠く紀州や淡路の山々や太平洋を望める風光明媚な景勝地。お薦めです。

西の高野

二十番札所から距離では約六・五キロメートルの二十一番札所の舎心山太龍寺(たいりゅうじ)。
しかし、鶴林寺から下山して那賀川を渡り、霊鷲山よりも険しい山道を約三キロメートル登ります。時間では三時間以上かかります。
お大師様二十四歳の時の著作三教指指(さんごうしいき)に、境内奥の舎心嶽(しゃしんがたけ)の岩上で、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)による難行を百日間行ったと記されている名刹です。
四国山脈の東南端に位置し、西の高野とも称されます。
お遍路さんにとって屈指の難所でしたが、平成四年にロープウェイが開通。全長二七七五メートルで西日本最長です。とはいえ、健脚自慢の方は是非徒歩で。感慨もひとしおです。

修行の道場

紙上遍路も早や五ヶ月。来月は二十二番札所からスタートですが、二十二・二十三番を参拝すると阿波の発心の道場を打ち終えます。

二十四番からは土佐に入り、修行の道場となります。太平洋の大海原を眺めながらのお遍路旅。わくわくしますね。乞ご期待。