皆さん、こんにちは。十一月です。いよいよ冬です。寒い日が増えます。くれぐれもご自愛ください。
かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。
「コケにされた」と表現して怒ることがあります。相手に軽くあしらわれたり、馬鹿にされたと思った際に発する言葉です。この「コケ」も「虚仮」と書く仏教用語です。
この「コケ」は、聖徳太子が亡くなる前に語った「世間虚仮、唯仏是真(せけんこけゆいぶつぜしん)」という言葉の「虚仮」です。
「世間は虚仮(虚飾にまみれた空疎なもの)にして、唯だ仏(あるいは仏教の教え)のみが真(まこと)なり」という意味です。「世俗にまみれ、地位や権力や金に執着することは空疎にすぎない。ただ仏の教えだけが心の拠り所である」という聖徳太子から衆生(人々)への問いかけと言えます。
「虚仮」とは、文字どおり「虚(むな)しくて、仮のもの」という意味です。仏教による国造りを目指した聖徳太子だからこそ、争いや陰謀の渦巻く世界に長く身を置いてきた末に、最終的に辿り着いた境地でしょう。
聖徳太子が亡くなった後、妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が追悼のために「天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)」という染織物を作りましたが、その中にこの言葉が織り込まれています。聖徳太子の伝記「上宮聖徳法王帝説」の中にも記されました。
「虚仮」は中国の「墨子」や「維摩経」「観経疏」というお経の中にも登場します。親鸞聖人も「虚仮不実のわが身にて清浄の心もさらになし」すなわち「まだ真実(覚り)が伴っていない自分には清らかな心などない」という謙遜、謙虚の心境を述べています。
本来の仏教的意味での「虚仮」は現代の「コケ」のような軽い意味ではありませんでしたが、室町時代には庶民の間でも普及したようです。江戸時代初期の笑話集「醒睡笑」の中では「愚か者」という意味で用いられています。
「真実ではない」「外見と中身が一致しない」というニュアンスでいくつかの慣用句が誕生し、今日も浸透しています。
冒頭に記した「コケにする」のほか、「コケ下ろす」もこの「虚仮」です。日常的には「こき下ろす」と「コキ」に音が転じて使われる場合もあります。「コケ脅し」もこの「虚仮」です。
「コケ急ぎ」という言葉もあります。「無茶な行い」「無駄な行い」「考えの浅い行い」を揶揄する意味です。「コケの後(あと)思案」は「後に考えが浮かんで、役に立たないこと」です。「彼はコケコケだね」と人を馬鹿にして、嘲る表現もあります。ポジティブな使い方もあります。「コケの一念」は「愚か者が大成すること」を意味します。
誰しも日々の生活の中でいろいろ思い悩むことがありますよね。僕の場合、そんな時には呪文のように「セケンコケユイブツゼシン」と独り言を呟いて(笑)「コケの一念」の思いで悩みを払拭するようにしています。ではまた来月。
ご乗車して頂いた時は、来年の予定でしたが、投票日まであと僅かとなりました
テレビや動画などで政策を拝見する度
大塚さんが当選すると祈り願い、信じています
看護学部で保健師希望の娘は、大学の卒業式の祝辞は、大塚さんからいただき、入職出来たら、大塚さんの言葉をいただきたい、いただけると信じています
中村区岩塚に引越しを予定していましたが、契約後に建物の老朽化が見つかり、今だ愛西市に在住ですが、応援の気持ちは伝えたく認めました
追伸…(福祉について)
・53年前、両親が離婚時に単独親権と共同親権を争った事
・母親からの虐待
・性被害
・18歳で一人で生きていく事になった時の貧困と民法の壁
・元夫からの精神的DVによる精神疾患
・娘の苛め
(学校と教育委員会との4年間の中で、法務局から学校を訴え、最終的に苛めの認定と教育委員長と校長の謝罪)
幼児から成長と共に起こる出来事で、価値観や将来的、心体に及ぼす影響を私の経験の中でお力になれる事がありましたらお申し付けください